肩書や古い価値観に縛られずに心を解放して自由に生きる方法とは?

あなたは、肩書にとらわれた生き方をしていませんか?

会社員の方なら、係長、主任、次長、部長、専務、常務、取り締まり役、自分の肩書きや他人の肩書がどうしても気になりますよね。

工場に勤務している場合だったら、班長、統括、工場長、所長、といったところでしょうか。

出世競争という言葉もありますが、人は、組織に属していると、自分から望んでいない場合でも、出世しなくてはならない、という呪縛にとらわれてしまうものなんですよね。

この、肩書っていったいなんなのか?ということを考えてみたいと思うんです。

 

肩書とはいったい何なのか?

 

私の知人の売れっ子ライターさんが、以前会社員だった時に、燃え尽き症候群になってしまった話をしてくれたことがありました。

彼は23歳で出版社に就職し、とにかく毎日が忙しく、帰宅するのも終電間際ということが多かったそうです。

係長から課長に昇進した頃は、頻繁に顧客からのクレームを扱ったり、大量の事務処理や部下の管理をして、とにかく毎日があわただしく過ぎていく。

部署の人数が不足している中、長時間労働でカバーしていたそうです。

 

しかし、難易度の高い仕事もこなせるようになってきたので、やりがいを感じていたし、結果を出すことで、当然、会社は最大限のフィードバック(金銭、出世)をしてくれるだろう、という期待があったそうです。

 

しかし、大きな案件が終わった後、会社からは何のねぎらいもなく、さらに仕事が増えるという現実に直面した時、彼の体は悲鳴を上げたそうです。

原因不明の湿疹が出たり、首の後ろから冷や汗が出る、頭が急に熱くなったり、自立神経もおかしくなっていたそうです。

大きな仕事を何とかやり切った時に、何も報われることなく、放置されただけの苛立ちや徒労感が残り、朝、会社の前に立つと頭痛がして、とうとう会社に行けなくなってしまったそうです。

 

今考えると、自分は不要な出世競争にまきこまれてしまっていた、と彼は言っていました。

今は起業してサイト運営などで大きな収益をだしている彼ですが、燃え尽き症候群の時は鬱病のような症状がでて、何もやる気が起きず、回復するのに4か月もかかったそうです。

会社をやめる時は本当に不安だったが、いざやめてみると、今までなんで組織の中でもがいていたのか、肩書にとらわれていたのかが不思議だと言っていました。

 

井の中の蛙大海を知らず、ということわざがありますが、人は、組織の中にいると、外から冷静に自分の姿を分析することができなくなっってしまいます。

 

肩書を重視する旧世代の価値観の崩壊

 

私達の前の旧世代って、社会生活をしていく上で、非常に肩書を大事にしてきていたと思うんですよ。

大きな会社に勤めている人はえらいんだ、とか、学歴が高い人は社会に役立つ人だ、という価値観に支配されていましたよね。

で、その立派な会社に勤めている人も、自分は有名な〇〇会社につとめている、〇〇という肩書を持ったえらい人間である、というプライドで生きていますから、会社をリストラされたり、または定年退職した時に、喪失感に襲われて、生きる気力がなくなってしまうってことがよくあります。

〇〇会社の誰々です、〇〇大学卒の誰々です、っていう肩書に縛られすぎてしまうと、その枠からはずれた時、あれ?自分の居場所ってどこなんだろう?とか、もう社会から自分は必要とされていないんじゃないか?っていうネガティブな思考に陥ってしまうんですね。

これは、本当に自分のやりたいこと、自分にとっての幸せが何かががわかっていないため、肩書がはずれた時に、自分を見失ってしまうんですね。

たとえば、今、あなたが転職を考えて、いったん無職になったとします。

無職っていう言葉のイメージから、なんとなく不安になったりしませんか?

なんだか落ち着かない気分になりますよね。

これは、無職という言葉が、またはニートという言葉もそうなんですけど、怠けていて悪いことだと世間に浸透しているので、なんとなく嫌な気分になるんだと思うんです。

しかし、今は無職だけど、仕事をする準備段階かもしれないし、ニートだって、休憩段階かもしれない、事情は人それぞれなんですよね。

ニートイコール怠けてる、みたいに、ひとくくりにされているところがありますけど、本当は、世の中の人のためになることがしたい、って思っているかもしれないし、もっと自分の人生がよくなればいいなぁと思っている人もいると思うんです。

実際、病気やケガなどで、働けない方たくさんもいらっしゃいますしね。

つまり、人は世間からの刷り込み、または肩書っていうものにとらわれていて、本質を見ていないことがある、っていうこと認識してほしいんですね。

これは、これからの、価値観が激変する社会を生きていく上で、非常に重要なことです。

世間から刷り込まれているイメージ、例えば大企業に勤めている人はえらいんだ、とか、〇〇大学を卒業しているから立派な人だろう、という思い込みはまちがっている可能性もある、ということを認識できるかどうかが大事なんです。

一度、自分の今までの価値観を疑ってみることができる人は、本質を見極めることができる人です。

実際、例えば大企業に勤めている方は、優秀な方が多いと思うんですが、中には、とんでもない悪事を働く人間もこの母体の中には複数いるわけです。

ですので、肩書って、なんなんだろう、肩書がなかったら不安なのはなぜなんだろう、と考えた時、勝手に作り上げたイメージに縛られているだけ、ということがわかるんです。

人は、自分が思ったとおりになる、と心理学者が言っています。

人は、自己イメージ、自己概念どおりになるようにできているんです。

もし、今、あなたが無職で、なんとなく周囲からどう思われるか気になる、という方は、肩書がないからなんとなく不安になってしまっているんだと思うんですね。

これは、自己イメージ、自己概念が悪くなってしまっている状態です。

 肩書なんて自分で自由に作ってしまえばいい

 

では、どうすればいいのかというと、自己イメージを改善するために、自分で肩書を作ってしまえばいいと思うんです。

例えば自由業のフリーランスです、とか、求職中だったらワークリサーチャーです、とか、友人の悩み相談にのってる方だったらマインドアテンダントとか。

ネットを見ていると、最近は、いろいろな人が自分に肩書をつけていますよね。

 

ライフイベントを通して思考する素直な独創家 とか、自作ゲームクリエイター 、 江の島に住む芸術家 、 とか、ね。

 

肩書なんていくらでも自分でアレンジして作ってしまえばいいんです。

 

人からの評価、世間からの評判、とか、一切気にしないでいい、ということなんです。

自分は自分、自分軸がしっかりしていれば、肩書なんて関係ないです。

無職でも、自信をもって堂々としていてください。

ニートの人だって、本人が幸せならいいと思いますよ。その人にとって、ニートが一番幸せなら、世間がなんと言おうが、ニートを貫いてください。

人の幸せの価値基準は他人からの評価ではない、自分が決めるんです。

ここがすごく大事です。

人が決めるんじゃない、自分が決めるんです。

私が提唱しているフリーソートっていう魂を持つ生き方もそうなんですが、人は、生まれながらにして、自由なんです。

 

住む場所も、仕事も、つきあう人も、自分が決めていいんです。

本当の自分のやりたいことはなんなのか、を考えてみた時に、肩書って本当に必要なんだろうか?

社会の古い価値観に縛られていないだろうか?

ぜひ、一度考えてみてください。

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