引っ込み思案の克服のため母親が友達の玄関チャイムを押し物陰に素早く隠れた

松田さん、こんにちは!お世話になります。

 

今回は『生まれつきのコンプレックス、治せない不幸な悩みや体験談等』と言うことで、私のコンプレックスをお話します。

 

細かいことを挙げていくと本当に切がない位たくさんあるのですが、今現在の私の年齢(50代半ば)からすれば、容姿的なことを云々言っても滑稽なので、真剣に考えてしまうことをお話します。

 

物心が付いてから今もずっとそうですが、ものすごい人見知りなんです。もっと詳しく言えば、人との交流や付き合いなどが全く苦手です。引っ込み思案で困っています。

 

子どもの頃に近所の友達と遊ぶのでも、自分からは恥ずかしくて誘いに行けませんでした。なので家でじっと友達が誘いに来てくれるのを待ってばかりいました。

 

母親がそんな私を見るに見かねて、友達の家の玄関前まで私を連れて行き、チャイムを押して自分は物陰に素早く隠れると言ったことまでして何とか引っ込み思案を克服させようと必死だったのを覚えています

 

そんな状態なら友達がめちゃくちゃ少なくてもおかしくないのですが、よくよく思い返してみると、仲の良い友達も何人かいたし、独りぼっちだったと言うこともなかったように思います。

 

自分でも困りに困ったのは授業中の発言です。通知表にはいつも『もっと積極的に発言しましょう』と毎年判で押したように決まって書かれていました。

 

もちろん母親はそれに関して怒ります。とても辛かったです。

 

子供心に「何で発言できんかったらダメなんだろう...?」と不思議で不思議仕方ありませんでした。理解できませんでした。

 

しかしすごくそのことに母親はこだわり、とくに授業参観の時など手を挙げて発言しなかった日には、家に帰ってからが地獄のように恐ろしかったです。食事中から寝床に就くまで、胸に突き刺さる小言をグチグチと延々に続けるのです。

 

それが嫌で嫌で、参観日の時だけ何とか頑張って発言していたことを思い出します。母親が見に来ていることを確認し、先生の目に留まるように手を恐る恐る挙げてやっとのことで当ててもらい、恥ずかしくて恥ずかしくて仕方ないのを縮こまる思いで我慢して発言した後、やっといつもの通りの自分に戻れる安堵感を、今でも忘れられません。

 

思い出すと何とも言えず、切なくなります。

 

あの時の自分と一瞬でも対面できるのなら「よくやったね!最高に頑張ったね!」と言って抱きしめてあげたい気持ちです。

 

あれから何十年も経ちましたが、人との交流や大人付き合いと言ったものが苦手です。

 

とは言え、そこは年齢を重ねる度にそこそこ慣れて、何とか上辺だけの付き合いなら対応出来るようになりました。

 

しかし友達はいません。

 

パートの仕事も、人付き合いが苦手なため、わざと人の少ない職場を選んでいましたし、そんな感じですから仕事先で友達ができることはありませんでした。仕事は独りで黙々と夕食の調理をするだけで、人と息を合わせて仕事をするわけではなく、マイペースで出来てとてもやり易かったです。

 

でも調理の仕事を始めて少しずつですが、気持ちに変化が現れました。

 

人に対して何かをしてあげたいと思うようになったのです。

 

正直自分でも驚いています。あんなに引っ込み思案で恥ずかしがり屋さんだったのに。人と上手く付き合うことが苦手だったのに、です。

 

今は料理を通して、人の役に立ちたいと思っています。

 

何かの本で読んだことがあります。『世界共通の言語。それは「音楽」「芸術」そして「料理」』

 

これを見た時、自分の中で何かがストンと落ちた感じがしました。

 

私のコンプレックスのお話は以上になります。最後までお読みいただきありがとうございました!

コメントは受け付けていません。