人生の転機はテレクラ!?極度の吃りは脳波の異常、環境の変化と緊張が原因

私は、生まれもったコンプレックスというか、物心がついた幼稚園児辺りから人とは違う雰囲気でした。なかなか友達もできなかったです。

 

どういう雰囲気かと言うと、ハーフみたいに色が白く、髪の毛も金髪という感じでした。今の時代はハーフという言葉があり、偏見は少ないと思うんですけど、当時は「ガイジン」「アメリカ人」と罵られました。

 

幼稚園時代、友達ができなかったのでお昼休みを一人で校庭の隅っこで過ごしたものです。すごく長く感じた昼休みでしたね。子供の頃は鏡とか見ないので、どうしてガイジンって言われるのかわからないまま、小学生になりました。

 

次に学習の遅れのコンプレックスです。私は小学校入学して間もない頃、ツベルクリンの注射が学校であったんです。それに引っかかって「小児結核」と言われて、小学校を出されてしまいました。

 

気がつくと、私は田舎の山奥の全寮制の養護学校に3年間隔離されてしまいました。そこでは小学校一年生から中学三年生までが暮らしており、一学年の人数なんて二、三人でした。

 

今思えば、授業なんかは教科書のことを詰め込むものではなく、のんびりとしたゆったりとした授業だったんです。施設にいると、そういう違いすらがわからないので全然よかったんです。テストの成績なんかも、人と争わなくてよかったですから。

 

そして、退院して三年生の三学期から通常の学校に戻りました。その時期、家は引っ越ししたので学校も新しい学校でした。

 

通常の学校に戻ってまず圧倒されたのが、クラスの人数です。50人くらいいましたね。それだけで、もう学校には行きたくないと思いました。養護学校に戻りたい…そんな強い気持ちを抑えて学校にいきました。

 

学校の授業はというと、全く養護学校ではやらなかったソロバンの授業があって、全くわかりませんでした。みんな手を挙げる中、私だけ挙げないと逆に目立つから小さく手を挙げたのを覚えてます

 

国語、算数、理科、社会、体育とすべてにおいて、全くやってこなかったものばかりでした。

 

本当に学校に行くのが嫌でした。

 

そこでも、ガイジンとからかわれて、お昼休みも一人で過ごしてました。誰も声をかけてくれなかったです。

 

そんないい思い出もないまま、四年生になる頃、新設校ができました。クラスも三クラスだけという学校でした。
前の学校は八クラスまでありました。少ないから私には合ってると思ってたんですけど、学校というものに恐怖を覚えていたせいか、登校拒否してしまいました。期間は覚えてないですけど、1ヶ月近くは登校拒否してたと思います。

 

担任の先生が新卒の新人先生で、すごく親身になって毎日家に来て励まされ、やっとの思いで学校に行きました。

 

そこには、知らない人ばかりいたので徐々に友達も一人、二人とできるようになりました。

 

授業にも少しずつ、慣れてきました。

 

そんな中、授業でみんなの前で本を読むことになったのですが、その時気付きました。

 

吃ることを…。

 

私は、三才の誕生日の日に近所の友達の家で遊んでた時、ベッドの上をトランポリンのように遊んでたんですけど、バランスを崩しそばにあったタンスの門に頭をぶつけてしまい生死をさまようことがあったんです。

 

それ以降、命はとりとめたものの脳波に異常が見られてました。

 

それが「吃り」の原因らしいです。あとは環境の変化と緊張とが合わさって、極度の吃りだったのです。

 

一部の友達には、からかわれたりもしました。

 

それから、話すこと自体がコンプレックスになってしまいました。

 

高校に進学しても、吃りコンプレックスのお陰でなかなか心も開けず、友達が全くできませんでした。もう義務教育じゃないので、登校拒否するんだったら辞めてやろうと、二年生で中途退学しました。

 

それからは、母のコネでパン屋に就職しました。職人の仕事なので、喋る必要がない仕事だと思って入ったのです。

 

しかし、最初は工場勤務だったので、喋らなくて楽だと思いました。慣れてきた頃に、店舗に配属されてしまいました。店舗だと「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」と言わないといけなくて、最悪レジまでしないといけない時もありました。

 

でも、考えたんです。長い人生、こんなことから逃げてたんじゃ生きていけないなと。親からは「吃りながらも一生懸命喋る人いるから」と言います。

 

ですが、「この人吃るんだ」って思われること自体プライドが許せなくて、なんとか変えたい一心で、職を変えました。

 

コンピューター関係のプログラマーの見習いの仕事をはじめました。当時流行りの、トレンディドラマに出てくるような職場で働くことによって、何か変わるんじゃないかと思ってました。訪問販売の営業や、テレフォンアポインター、営業補助など、職を転々としました。

 

しかし、なかなか吃りコンプレックスの殻を破ることができなくて、結局無口な青年の印象を持たれてしまい、脱コンプレックスに失敗しました。

 

またしばらくは黙々とする仕事に就きました。

 

転機は25歳の頃にやってきました。その年、家を追い出され一人暮らしを初めたんです。

 

元々、寂しがりな性格なので、人と話したいという欲求が募ってました。そんな時、テレクラ好きな友達が私を誘ってきたのです。

 

テレクラには、抵抗ありましたが嫌々ながら付き合いました。

 

テレクラは繋がった相手と話して、気に入ったら会ったりできるんですが、話がつまらなかったら1分も経たないうちに、あっさり切られるんです。

 

最初は、バッサバサ切られてました。 

 

でも、だんだんとゲーム感覚のように切られまいと一生懸命話すことだけに集中しました。そうしたら、だんだんと話が続くようになり自分に自信がつくようになりました

 

それからも、話術を鍛えました。

 

夜の仕事もできるようになり、バンドもやってたので、ステージに立って歌ったりすることで、自信がつきました。

 

今では話が面白いって慕ってくれる人がたくさんできました。

 

見た目のコンプレックス、学習のコンプレックス、吃りのコンプレックス全てが繋がっていたんだなって、この文を書きながら思いました。

 

私自身、コンプレックスによって人への思いやりが養われました。

 

人それぞれコンプレックスはあると思います。

 

私のように越えられる壁は必ず越えれます。越えられない壁はないと私は思いました。

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