レビー小体型認知症…妄想や幻聴、よちよち歩きになり、徐々に人形のように

松田さんこんにちは!お世話になっております。

 

さて今回のテーマ『生命、生と死に関して人生で一番つらかった事、考えさせられた事や悩みについて』ですが、昨年亡くなった私の父親のことを書きたいと思います。

 

父は5年間に渡る闘病生活の末、昨年の6月に認知症でこの世を去りました。86歳でした。

 

およそ10年ほど前に前立腺がんが見つかり、幸い発見が早かったため手術は行ったものの術後の経過は良く、定期的に検査を受けるのみで大事には至りませんでした。

 

その時点ではまだ、認知症の症状は発症していませんでした。ちゃんとしっかりしていて、特に問題はありませんでした。

 

父は72歳まで会社員として元気に働いていました。もちろん給料面は随分とカットされていましたが、働くことが生き甲斐のような父は「働かせてもらえるだけで御の字だ」と言って、毎日喜んで出社していたのを覚えています。

 

そんな父でしたが、退職を機に趣味で畑仕事をしていました。一応父の実家は農家で、本人も農業高校を卒業していたこともあったからではないかと思います。

 

畑仕事と言っても100坪くらいの土地を借りて、季節に応じた野菜を作っていました。それぞれの収穫時期になると結構たくさんできるもので、家に持ち帰った野菜を母がせっせと近所に配っていました。

 

退職して3年ほど経ったある日、健康診断で前立腺がんが見つかり、手術をしました。予後は良好でした。父は毎日1箱ほどのタバコと、時々ですがお酒(ビール)を嗜んでいましたが、それを機にキッパリと止めました。

 

しかし術後の後遺症が残り、尿漏れのために尿パット、もしくは紙オムツが必要となってしまいました。

 

そのため畑仕事がおっくうになってしまい、借りていた畑は返すことになりました。

 

後遺症のため趣味がなくなってしまった父は、家でじっとテレビを観る毎日を送っていました。

 

ある日、はた目から見ていてもぼんやりを通り越して明らかに鬱っぽい様子になっていることに気付き、慌てて母と一緒に病院へ連れて行きました。

 

診断結果は『レビー小体型認知症』でした。

 

高齢者の認知症の20%を占め、物忘れよりも幻視が現れ、妄想やパーキンソン病のような筋肉のこわばりといった症状が出ます。

 

最初の頃は投薬で症状も比較的に落ち着いてはいましたが、やはり段々と日によってしっかりしている時とボーっとしている時との差が激しくなってきました。

 

妄想や幻視、幻聴も度々起こるようになって来ました。

 

パーキンソン病患者のように、歩き方も徐々によちよち歩きのようになり、症状がひどい日はお医者様から言われていた薬を服用させて、なるべく眠らせるようにしていました。

 

昼間は私が仕事に出かけているため、母がひとりで世話をしなければならないので、段々と薬に頼る日が多くなっていきました。

 

そんなある日、母が夕食の支度をしている隙に父がプイっと外へ出てしまい、冬の日暮れの早い時期だったこともあって家が分からなくなり、迷子になってしまいました。

 

慌てて母が近所に住んでいる親戚にも応援を頼んで探し、何とか見つけることが出来んだと、仕事から帰った私に興奮しながら説明してくれました。

 

父は本当に子供が迷子になった時のようにしょんぼりしていて、見ていてとても可哀想でした。

 

この件があって以来、父にとってはよほどショックだったのか、妄想と幻視、それに加えて幻聴が一段とひどくなってしまいました。あまり薬も効き目がなくなり、すぐさまかかりつけのお医者様に診せに行き、しばらく入院をすることになりました。

 

この時点で発症して5年ほど経過していました。

 

ここからは病状の悪化がとても早かったように思います。

 

最初の1年間は3ヶ月ほど入院して、1ヶ月くらい自宅で生活出来るといった回復ぶりでしたが、4ヶ月入院→半月自宅で生活、5ヶ月入院→1週間から10日間自宅で生活、と言った入退院の経過を辿り、ついには自宅に帰してもらえないほどになっていきました。

 

結局亡くなる4年ほど前から、一切一時帰宅を認めてもらえず、ずっと病院内で生活を送っていました。

 

それでもお見舞いに行けば母や私だと、ハッキリと認識も出来ていましたし、車椅子で(もうあまり歩くことが出来なくなっていましたので)看護士さんが面会所まで連れて来てくれるのですが、手は動きが遅くはなったものの、差し入れのおやつを喜んで自分で持って口に入れることが出来ていました。

 

しかし年々少しずつ動きが止まっていき、顔の表情も私たちを見てもあまり変化がなく、声も出せなくなっていきました。正直、お見舞いに行っても可哀想で仕方がなく、見ていて気が重たくてたまりませんでした。

 

それでも最後の半年までは、私のことを分かっていたようです。

 

そして母のことは最後まで分かっていたようです。

 

亡くなる3ヶ月前に担当の先生から「覚悟をしてください」と通告を受けました。

 

もうその時には『父の形をしているお人形』になっていて、手を握っても冷たく、もちろん握り返してくれる力など残ってなく、ただ静かに心臓の筋肉が衰えていくのを見守るだけになっていました。

 

昨年の6月の初旬の早朝、病院から危篤の知らせがあり急いで駆け付けたのですが、父はすでに息を引き取っていました。

 

信じられないくらい、穏やかな顔をしていました。先生が「昨晩の回診時には異常はなかったのですが、朝方になって急に心拍が弱り出して、何とか最期を...と頑張ったのですが、申し訳ございません。しかし苦しまずに、眠るような最期でした」と仰っていました。

 

父は決して男前ではなかったのですが、私は生まれて初めて父の男前の顔を見ました。しかも優しい『仏様』のように、今までに見たことのない柔和な表情をしていました。

 

お通夜の時の最後の夜、母が泣いてしまうのでは...と心配しましたが、意外にも気丈に振る舞ってくれて助かりました。

 

お葬式の出棺の時、身の回りにお花を添える時、母や弟は泣かなかったのに、私だけ大泣きをしてしまいました。

 

母はもしかしたら私が知らないところで泣いたかもしれませんが、もしかしたら全く泣かなかったのかもしれません。

 

お葬式が終わって父の遺骨と帰宅して少し落ち着いた時、私が何の気なしに「お父さんは私たちが落ち込まないように、自分だけ何年もかけて苦しい思いをして、徐々に私たちから離れていったんだよね。もし認知症でなかったら、きっと今頃ひどく落ち込んで大変だったかも... ましてや昨日まで元気でいたのにぽっくり逝かれたら、ずーっと心に残るし。お父さんって最後まで偉いね」と言いました。

 

すると母は「そうだねぇ... お父さんはもうとっくに私の気持の中では亡くなった人になってたからねぇ... 私たちに気を遣って心配させないようにしてくれたんだね」と。

 

独りでお見舞いに行くこともあった母は、見るたびに『お人形』になっていく父を「もう私が何を言っても、気持ち(心)がないの...」と寂しそうにつぶやいていたのを思い出しました。

 

不謹慎ですが、父の病気が幸いしたのか、母はあまり落ち込んだりしなくて済み、本当に助かりました。

 

しかし認知症と言う病気は、罹患した本人がいちばん可哀想でなりません。

 

徐々に身体が弱っていきますが、病状によっては薬漬けにされて無理矢理おとなしくさせられたり、場合によってはベッドに括り付けられたりと、人間としての尊厳が全くなくなってしまう病気です。怖ろしい病気です。

 

私の父のように先ず『精神』が亡くなった後『身体』に死が訪れる。

 

普通はほぼ同時に訪れる『死』が、全く別々にやって来る怖ろしさ。

 

心が無くなった身体はまるで『お人形』そのものです。見ていてとても辛いです。

 

日進月歩の医学の進歩で近い将来、認知症を完全に治療出来るようになって欲しいと願って止みません

 

今回のテーマについては以上になります。

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

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