造園業…きつい・危険・苦しい・汚いの4Kに、つらいのTを加えた想像を絶する世界

いじめについて書かせていただきます。

 

私は過去一度だけ、他人をいじめた事がありました。まだ八歳の小学二年生の頃の事です。こういう言葉を発すれば、他人が傷つくとか、そんな事まで考えが深く思い及ばなかったのです。

 

クラスにある女の子がいました。顔立ちが整ったとても綺麗な子でした。その子は見るからに日本人離れした容貌をしていました。そうです、この子はハーフでした。手足も長くすらっとしていました。髪は栗色で色が白く、瞳がくるっとして、鼻が高く唇も形のよいものでした。

 

この子が白人系のハーフなのは、一目瞭然でした。この時代(昭和四十年代)、ハーフなどという言葉はまだまく、差別的な〔あいのこ〕などというひどい言葉が横行していた時代であったと想います。

 

容姿が明らかに異なるこの子に、私は好奇の眼差しを向けていました。そして私はこの子にひどい事を言ってしまったのです。「お父さんかお母さん、外人?」と……。その子は一瞬きょとんとしたような表情になりましたが、じっと私を見つめたまま、何も語らず否定も肯定もしませんでした。今思い返しても、ひどい事を言ったと想っています。もう五十数年前の、遠い昔の事ですが、なぜかその子の名前は、今でもフルネームで、そして綺麗だったその容姿も鮮明に覚えています。

 

いじめられた経験では、やはり小学生の頃の事ですが、リーダー格のある男の子がいて、その周りには取り巻き連中が数名いましたが、たまたま私がその中の会話に入って話をしていた時、リーダー格の子が、小学生にしては、ちょっと卑猥な言葉を話し始めました。

 

その会話をクラスの先生(女性)が聞きつけ、「誰が最初に言ったんですか!」と叱声をあげました。

 

リーダー格の、体格のいいその男の子は、瞬間、顔をこわばらせ、窮地に立たされたときに人間が見せる容貌になってうろたえたかと思うと、私に視線を向けるや否や、「Aくん、A君です!(私の事です)」と指を指して大声を発しました。

 

すると周囲の子達も一斉に、「A君! A君!」と叫びました。リーダー格の男の子と六、七名の子達に囲まれて、一本指を皆から指されて「A君! A君!」の大合唱を浴びせられました。

 

完全な濡れ衣です。違うといっても、先生は信じてくれませんでした。

 

学校と家庭のやりとりをする連絡帳に、反省するように書かれた私は完全に罪人扱いでした。今思い返すと、ギャグですが、その体格のいいリーダー格の男の子の容貌も、上の名前も、なぜかいまだに覚えています。

 

小学生の頃の話はここまでですが、私はいじめた、いじめられたという経験が思い浮かびません。

 

中学生の頃を思い浮かべても、いじめた、いじめられたという記憶はありませんが、高校生の頃、売店に行って「パン買ってきて」とかいう、いわゆるパシリは経験しました。それも買って来い! という命令口調ではなく、買ってきて、というやさしい言い方でした。

 

私が通っていた高校は、ビーバップ・ハイスクールのモデルになったと噂されている荒れた高校で、入学式の時点で、既に喧嘩が始まっていたくらいの学校でした。

 

それはそれはつわもの揃いで、皆、体格も屈強な猛者ばかりで、現在でいうヤンキーのお兄ちゃん達ばかりで、教室は授業中でもどんちゃん騒ぎ! 授業中でも喧嘩が勃発! それが日常茶飯事の荒れた学校でした。

 

その<不良>達の中に在って、私は体も小さく、身長も155センチのおとなしくまじめな生徒でした。普通なら、いじめの標的になっても不思議ではない存在でしたが、なぜかいじめには遭わず、最初の頃だけ、ほんの数回パシリをやらされた程度でした。

 

大学生では、いじめた・いじめられた、という世界は無縁の世界でした。サラリーマンという社会人となってからも、上司から、今で言うパワハラを受けたとか、先輩から陰湿ないじめを受けたとか、そういう経験は全くありませんでした。

 

上司と口論したとか、同僚と口論したとかはありますが、いじめた・いじめられたの世界とは、私は全くの無縁でした。それだけサラリーマン社会の中で、仲間に恵まれていたのだと思います。

 

私は長い間、営業や特殊な接客業(葬祭業)の仕事に従事していました。自分では営業向きではないと思いますが、それなりに実績も出し、結果も残してきました。

 

現在はどうか知りませんが、独り立ちできるまで、必ずサポートしてくれる先輩がついてくれて独り立ちするまで助けてくれました。

 

まず先輩の真似をして、ある程度実戦をつんだら自分独自のオリジナリティーを加えて型をつくり、それが極まったら完全な自分独自の形を完成させて独り立ちする。武道でいう【守・破・離(しゅ・は・り)】です。

 

私はサラリーマン生活では恵まれて、いじめのない世界でずっと過ごしてきました。

 

しかし状況が一変したのは現在の仕事に就いてからです。

 

40目前にして、私は退職勧告を受け、リストラという名の追放に遭いました。

 

最高権力者に楯突いたからです。リストラされて二年たち、やっと就職できたのが現在の会社です。

 

採用してくれた面接官は、「草取りはできるね? おもな仕事は草取り」という事でした。ああ、草取りなら自分にもできる、そう思ったのが違いでした。

 

確かに手取り除草というのは業務でありましたが、造園という仕事がどんなものか、私は全く知らなかったのです。

 

樹木管理】と書いてありましたので、ああ、木に栄養剤かなにかを注入したり肥料上げる仕事なんだろうと考えていました。

 

入ってみて驚愕しました。

 

高い木に登っての剪定、機械を使用しての剪定や草刈、薬剤の散布で、怒号と罵声が響き渡り、挨拶しても無視される異質な世界でした。

 

職人の世界では教えてもらえるという事がまずありません。

 

観て覚える、叱って鍛える・叱られて覚えるという、まさに旧態依然とした古い価値観の世界です。それに極めて過酷な肉体労働で、きつい・危険・苦しい・汚いの4Kに、つらいのTを加えた想像を絶する世界でした。

 

私は過去、いろんな職業(営業職がほとんどですが)を経験してきましたが、きついと思った事はありましたが、つらいと思ったのは初めてでした。

 

入社して一週間くらい経った頃、10メートル前後の高木の前に連れて行かれました。

 

「この木、切れるか(剪定できるか)?」と問われた私は、「いえ、できません」と正直に答えました。間髪容れず、「できんじゃすまされんめえもん!(博多弁です)」という怒声が雷の如く浴びせられました。

 

第一、どこをどう切ったらいいのか全く解らない、やった事もない、未知の世界で、私にはそう答えるしかなかったのです。

 

機転を利かして、今はできませんが、早くできるように頑張りたいと思います、とか、うまく返せればよかったのでしょうが、とにかく私はここは今までの世界ではないと感じました。

 

それからの私は三秒に1回怒鳴られる、罵倒される世界に身を置く事となったのです。

 

職人は、ほとんどアレという言葉で終わらせます。アレがアレしてるからアレしといてくれ。 

 

?????です。

 

もしくは○○○○がという主語がなく、しといてくれ、という世界です。

 

向こうはいつも一緒にやってるんだから解っているだろうという感覚で話していると思います。

 

ですが、入りたての新人に、毎日仕事の内容がころころ変わる仕事を覚えろという方が無理だと思います。

 

私はいつも理不尽な怒号・罵倒をたたき付けられ、精神は緊迫の極みにありました。喉はからからになるほど緊張していました。意味不明なアレという言葉を瞬時に解読しなければ怒号・罵声を浴びせられるだけです。

 

私は必死に暗号を解読するように極限状態にありました。

 

四十二歳で私はこの会社に入りましたが、四十二歳でも、いいつけられたら甲子園球児のように全力疾走でした。

 

この部署は西部といいますが、ここは烈火の如く罵倒・無視される炎の世界でした。

 

私に怒声・罵倒していた理不尽な上司は現在は退職してもういませんが、私はこの人を<大日本帝国>と呼んでいます

 

また修行という名目で、東部という部署にやられましたが、ここがまた極めて陰湿な世界で、昔の東映のヤクザ映画で松方弘樹が頭髪を刈り上げたような人が(私より年下)上司となりましたが、直立不動で1時間も、或いはそれ以上説教され、陰湿にネチネチといじめられた事を覚えています。

 

先の西部がマグマの如き炎の世界なら、この東部は零下40度の極寒の世界でした。炎と氷の二つの世界で、私は社会人のいじめという事を初めて体験しました。

 

現在の会社は六年で一度辞め、二年後に再びカムバックしましたが、話は最初の六年間の頃の話です。

 

この会社は価値観の古い人間が多く、昼食の時も、一番偉い人が箸をつけるまでは食べるな! そういわれた時は、まだこんな会社が存在していたのかと口があんぐりとなった事を覚えています。

 

サラリーマン時代には、こんな事を言われた事は一度もありませんでした。

 

食事できるものから食事する。そうしなければ、仕事に対応できませんから……。

 

それが普通でした。

 

サラリーマン世界とは全く違った狂気の世界で、狂った異空間に迷い込んだというか、戦時中の大日本帝国にタイムスリップしたというか、零下40度の極寒地獄に迷い込んだというか、社会人になっていじめられた経験というなら、これがそうなのかなあとは思います。

 

物質は同じカテゴリーで集るとは言いますが、この会社には集まってくる人間も異質で、人間関係で苦しんだのは、この会社が初めてでした。

 

どろどろした醜い世界でした。この会社では、兎に角、苦労の連続でした。

 

同僚からの逆恨みによるいじめ、頭のおかしい会社上層部からのいじめのような偏見、書こうと思えばいくらでも書けますが、マイナスの概念に浸されて心が乱れますのでこの辺でやめておきます。

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