聖霊は自分の中に…神の子である人間を導き、助け、癒してくれる存在です

スピリチュアル、霊、生まれ変わり、輪廻転生、カルマなどについて。

 

わたしは、霊は見えませんし、何も感じることはできません。

 

ですが、自分の中に存在する聖霊と関わりあうことが奇跡を生むと勉強しました。

 

神はすべての人間を神ご自身と同様に創り、創造することを与えた。そして、神の子が迷わぬように導き、助け、癒しをもたらす「聖霊」が自分の中に宿ると知りました。

 

逆に自我という恐怖の声も頭の中に存在すると。

 

この恐怖の声に耳を貸すと、何かと自分の人生がうまくいかないこと、幸せを感じないこと、生きた心地がしないことは確かだと思っています。

 

ですが、聖霊に導かれていることで、人々が死を考えても生きることへと導かれるよう助けられるよう癒されるよう何かとヒントを出してくれると思っています。

 

必ず、何かうまくいかない時は、聖霊の導きとは逆へ行っていると思います。

 

この聖霊との調和が「愛」であり、生まれこの世にたった時点ですでに「愛」に恵まれて、「創造」するように生きている。そして、この人生を楽しむための力が存在する。

 

神の力をその子にも与えたと言われているそうです。

 

しかし、この世には「神は乗り越えられない試練を与えない」という言葉があります。

 

これは間違っているのではないかと思っています。

 

神は子にすべての力を与えている。そして聖霊という素晴らしい感性を持ち合わせて、人生を楽しく生きるため創造することができる。なのに「試練?」というのは誤解なのかなと思っています。

 

わが子を助けるために「火事場のくそ力」を発揮させる方もいますし、人間の可能性は未知だと思います、さらに人間自身が可能性を引き出さないようにしているのか、わかっていないのか、はわかりません。

 

わたしも困難に合うとなぜか乗り越えられますが、安心できる人生へとはまだ到達できていません。恐怖に支配されている自分がいるからです。

 

わかっていても幻想だと信じたいが、起きてほしくないとその声に耳を傾け、その対策を練っても何も生まれません。

 

ただ、心の中に宿る聖霊が私たちに語りかける声だけが素晴らしい道案内などではないかとは感じています。

 

しかし、現実は不安と恐怖に溢れているように見えます。そこで独りぼっちだと感じさせ、自分の中の協力的な聖霊がいることを忘れてしまいます。

 

神の国を維持せよ・・・。

 

今のわたしはこの心の平安までは到達できないほど考え方が現実とマッチしていません。なぜなら、こういう話をしていても、どこか自分の中の「疑い」があるからです。

 

この「疑い」も自我が語り掛ける言葉なのかもしれません。

 

「あなたは愛されてないよ」となぜか頭の中から声がし、愛されたいばかりに気をとられて勝手な行動や自分勝手なことをする。そして、愛がないような行動をする。それは自分を見失っている時なんだなと、勉強させられました。

 

心からの考え方や行動は、松田さんがお伝えしている「調和・柔軟性」だと思います。

 

わたしは、競争と闘争型の目標設定をしていたので、今までわかっていたというかこの考え方を理解するのに苦しんでいました。

 

愛とは何だ?と・・・。

 

心が貧しくなると、神からの恩恵を忘れるものです。

 

早く奴隷から卒業して、心の中にある神から授かった愛を感じたいと思っています。

 

松田さんから、競争と調和の違いを教えて頂いて、何とか一歩前に進めることができました。

 

今まで学んだところの理解を深めることができたことに感謝しています。

 

ありがとうございました。

 

以上となります。

コメントは受け付けていません。