先天的にプログラミングか?因果応報は未熟な心を持った人を操る最強の概念

ステップ1の回答同様、文章が苦手で読みにくい内容であることをお詫びします。

 

因果応報。大多数の弱い?未熟?な心をもった人達を操る最強の概念だと思います。

 

いいことをすればいいことで報われ、悪いことをすれば悪いことで報われる。

 

先天的に人の考え方にプログラミングされているのか、後天的に教育の中でマインドコントロールされていくのか。どちらにしろ無理なく納得できてしまう考え方で、商売にも多くに利用されていると思います。

 

ただ、「いい、わるい」というのは、あくまで人間社会でつくられた基準で、さらには人それぞれでその基準は大きくバラいていたり、ときには180度ひっくり返っていたりと、実のところはすごくあいまいなものだと思います。

 

なので結局は、時や、場所、状況によっていくらでも目的に応じて内容を作り上げることができると思います。

 

個人の生活レベルでは、「私」の社会に対しての存在を「いい」とすべきか「わるい」とすべきかを考えるとき、たいていの人は、たばこを吸わないから周りに迷惑をかけていないから「いい」とか、定期的に清掃活動に参加しているから「いい」とか、わりと手前勝手な尺度で自分を正当化する傾向にあるとおもます。

 

かたや大きなところでは、人間の地球に対しての存在を「いい」とすべきか「わるい」とすべきかを考えるとき、たいていの人は今の文明社会が地球にもたらしている影響は決していいものとは思い難く、人類滅亡は仕方ないとぼんやりでも考えているとおもいます。

 

そんなふうに個々では小さな規模で手前基準のいいことをして自分を正当化し、大きくは文明社会の方向性に悲観的でありながらも大きな流れにのらざるをえない。

 

要は大多数の人がぼんやりふわふわ生きていることになると思います。

 

そこに生まれかわりや輪廻転生といったスピリチュアルは考え方を加えると、なまはんかでまとまりがつかない思考になって、さらにぼんやりふわふわ状態になると思います。

 

生まれ変わったときのために、いまはいいことをしよう。

 

あれ?自分が思っているいいことって本当にいいこと?それは人間の思考レベルでいいことなんじゃないの?じつは本当の尊いレベルのいいことって、思考している時点で邪念が入ったものではないんじゃないの?...禅問答。

 

いつのまにかこんな歳に。

 

結局は完全不変・普遍の「正解」があるわけではなくて、人の思考は無限の可能性を持っているので、個人個人がその個人が本当に納得できるレベルで人生を送ればいいという結論になるかと思います。

 

とくに今は膨大な情報や便利なインフラによって人は以前よりかなり思考停止していると思います。

 

なので平穏な生活を送れているときはいいですが、いざ想定外な事故や悩み事に出くわすと、ふだんから自分の生き方、思考の仕方のポリシーを考えていないので、すぐパニックになって、自閉症や自殺に至ってしまうのかもしれません。

 

逆にふだんから考えすぎていると同じ結果になりかねない。

 

まさに思考する能力をもった人間のカルマ(業)ですね。

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