プロフィール

2005年に独りで起業、独りネットビジネスにこだわり15年ほど。『独りネットビジネス』にこだわり約15年。在庫なし、初期費用なし、維持費なし、安定志向、独りでできていつでも辞められるビジネスを専門にやっています。

生まれつき・コンプレックスの悩み

ハマヒサカキや腕時計のバンドの臭いが好き、臭いをかみ締めるのが至福のひととき

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 他人がなかなか理解できない癖や習慣を述べてみます。まず他人が理解できない癖ですが、それは臭いを嗅ぐ事です。

 

それも他人が悪臭と感じるような臭いであって、決してよい香りの時に用いる匂いではありません。

 

どんな臭いを好むかというと、腕時計のバンド(金属製よりは革製)をしていると、真夏などの暑い時期、当然皮膚は汗をかきます。その汗は酢酸に変化します。つーんとするお酢そのももの臭いです。

 

私はこの臭いを嗅ぐのが大好きなのです。汗をかかない時期でも、癖というものは恐ろしいもので、無意識のうちに私は腕時計のバンドを嗅ぐしぐさをしています。

 

この癖が始まったのは、高校一年の十六歳からで、別に直そうとも思わないし、私の楽しみのひとつです。

 

こんな変な癖は自分だけかと思っていたら、この手の臭いフェチは、私だけではないようです。

 

ラジオを聴いていて、私のこの酢酸臭いフェチという同趣味の人は他にもいました。ああ、自分だけではないんだ、そう思いました。他にも私は他人が臭いと感じる臭いが好きなのです。

 

どんな臭いかというと、ハマヒサカキ(別名・イソシバ)というその実から強烈な臭気を放つ低木があります。

 

幼い頃、田舎に行くたびに、私は薄暗い床の間に一人鎮座し、米などをそなえられている木彫りの大黒像に、畏怖の感情を抱いていました。その時に漂っていたのがハマヒサカキの臭いでした。

 

幼心に、このにおいは、この人(大黒像)が出しているんだと信じて疑いませんでした。その時からこの強烈な臭気が大好きになりました。

 

人はこの臭いを臭いといって皆きらいます。ある人は、ガス漏れの臭いという人もいますが、私はそうは感じられません。地元の食品会社が出している棒状のMラーメンというものがあります。その水に溶かす前の粉末スープそのもののにおいです。

 

汗が酢酸に変化したにおいも、このハマヒサカキの黄色い実から発せられる臭いもたまらなく好きで、目を閉じ、臭いをかみ締めていると至福のひと時です。

 

あとは藁のにおい、牛小屋のにおい、鶏小屋のにおい、草を焼くにおいなどが好きです。

 

反対に大嫌いな臭いは、男性がつける香水、これが大の苦手です。

 

プンプン強烈な臭いを放ちます! 立ち去ってもしばらく臭いが留まり続けます。

 

もはや公害と思っています。息をとめなくては苦しく、気分が悪くなります。女性の化粧品や香水の臭いも大嫌いですが、男性用は強烈に感じます。

 

本人はいいと思っているのでしょうが、臭くて臭くて、あっちに行ってくれと思う前に、私のほうから退避しています。もしくは息を止めた無呼吸状態になって我慢しています。

 

あと、私は煙草を吸うのですが、煙草の煙や臭いが大嫌いなのです。だから吸わない人の気持ちがよく理解できます。

 

私は他人が吸って吐き出した煙草の煙を鼻から吸うのが耐えられず、息を止めます。それができなければ、息を止めたり、小刻みに呼吸したりしています。

 

私は口で軽くふかす程度で、決して肺まで深く吸い込んだりしません。

 

しかし鼻での呼吸では、確実にこの汚染された空気が肺まで到達します。

 

よく換気が悪く、閉ざされて、煙草の煙に満ち溢れた部屋で会議などしている事がありますが、私にはとても耐えられません。

 

気分が悪くなります。そのまま居続けると、確実に吐くか、意識を失うと思います。

 

私の席の4メートル左からは、所長が吸う煙草の煙が絶え間なく私に流れてきています。とても苦しいです。

 

息を止めたり、小刻みに息継ぎするような呼吸状態です。私は人が居る室内では決して煙草は吸いません。携帯のマイ灰皿を持って屋外に出ます。煙草の煙は猛毒です。煙草を吸うと、確実に体から力が削がれていくのが解ります。

 

これまでは、他人が理解できない癖として、匂い(或いは臭い)について書きましたが、民度は他人が理解できない習慣を書いてみたいと思います。

 

その習慣に繋がる前置きとして、言っておかなければならない事があります。それは私が潔癖症だという事です。

 

仕事から戻ったら、手洗い・うがいは誰でもするでしようが、私はそれに加えて塩水での鼻うがい、石鹸での洗顔、両足の洗浄を行います。

 

若い頃は潔癖症ではありませんでした。三十代までは葬祭の仕事をしていましたが、車のハンドルを握る時は、無意識のうちに軍手の手袋をしていました。

 

その時から、他人が握ったハンドルには、他人の皮脂や汚れがついていて汚いという心理が潜在的にあつたのだと思います。

 

その職場は仕事柄、祭壇の組み立てや解体に軍手の手袋を着用していましたので、別におかしいとは思われなかったようです。

 

また葬儀の仕事では、いろんな御家庭に打ち合わせに参りますが、中には埃が溜まった汚い部屋や血や汚物に汚れた部屋などにも入って行かなくてはなりません。

 

靴下を履いているとはいえ、汚物や血を靴下ごしに踏みつければ当然、自分の足裏まで染みます。

 

もしくは汚い部屋でも汚れの粒子が靴下を通り越して足裏を汚します。

 

このあたりから、帰ったら必ず手洗い・うがい・足の洗浄をするようになった記憶しています。

 

造園土木と同じような仕事をしている現在は、潔癖症がより強化された状態です。

 

下着も靴下もシャツも、通勤用の服も靴も、すべてプライベートとは別のものに区別しています。作業着などは家の洗濯機では絶対洗いません。

 

業務用の軽トラックは皆が使います。

 

みんなオッサンです。素手でハンドルは握れませんし、皆の汚れが染みこんだ座席のシートに座った作業着のまま、自分の車には絶対乗れません。

 

現在では私が仕事の計画を立て、証拠写真なども撮影していますが、価値観が古い昭和脳で、息が詰まるほど苦しさを与えてくれた大嫌いだった前任者の皮脂がこびり付いたカメラも、手袋をしなければ触れません。

 

勿論、勤め先のドアノブも素手ではさわれません。一番嫌で嫌悪感を強く感じるのは、携帯で会話している時、「○○さんと代わって」というパターンです。

 

間接キスという言葉があります。直接キスしなくても、第三者が口にした缶ジュースなどを口にした時、結果としてキスしたのと同じ行為という意味です。

 

これと同じように、自分の携帯を他人が使用したら、当然、その人の耳の脂ぎった皮脂が耳の部分にこびり付きます。のみならず、握った部分、触った箇所も之に同じです。

 

間接的に耳と耳とをくっつけているのと同じです。これがとても嫌です。

 

造園土木のような仕事をしている現在、かつて踵(左かかと)の粉砕骨折で入院していた時、見舞いと称して、午前中から(病院の見舞い・面会は原則として午後からです)仲間が来た事があります。

 

見舞いとはいっても、彼らにとっては時間つぶしと時間調整を兼ねた遊びです。

 

私がリハビリしている間に、勝手に私の病室に入り、持ち物を(衣類などの私物)あさり、おふざけで私のベッドで寝たりしたようです。これが苦痛です。

 

若い女性ならいざ知らず、脂ぎって汚れた作業着のままの髭面のオヤジが寝たシーツや布団で寝るなんて事は、苦痛を通り越して悪寒が走るくらいです。

 

理解されないかもしれませんが、潔癖症の人間には、とても苦しく耐えられない事なんです。

 

葬儀の仕事をしている時は、会社のデスクにある電話で他人が受けたものを自分が代わったりしていました。

 

要するに間接耳くっつけです。その時は完全な潔癖症ではなかったので、なんとも思いませんでしたが、現在ではできません。

 

やむを得ずやらなければならない時は、帰ってから入浴の際に耳を泡立った石鹸でしつこく洗います。

 

現在、私は毎日入浴しています。

 

兎に角、仕事をした日には、毎日帰宅すると、手足を洗浄し、うがいと鼻うがいを塩水でやり、顔を石鹸で洗い、入浴の際は、頭髪から耳の穴までくまなく洗浄しています。

 

そうしなければ、自分の寝床で眠る事が出来ません。

 

よく日本人は、裸の付き合いとかいって、混浴をなんとも思っていないようですが、他人の汚れ・脂ぎった皮脂・汚物や排泄物の混ざったお湯に(もっといえば大腸菌やブドウ球菌)の中に浸っているのと同じなのです。

 

昭和三十年代の幼い頃、薄暗い裸電球のような照明の下、大衆浴場に入った経験のある私は、その汚さを目の当たりにしています。他人の垢が、そして排泄物のような物が、無数に湯船に浮いていたのを記憶しています。

 

温泉でも、大型浴場でも、衛生管理はやっているとは思いますが、局部や陰部も洗わずにそのままどぶんと湯船に入ったりするデリカシーのない人間がいる事もまた事実です。

 

他人が理解できない癖や習慣として、精神的な事ですが、もうひとつあります。

 

それはヌードルハラスメントです。

 

日本人は麺類を啜って食します。麺類にとどまらず、お茶などの液体、御飯などの固形物も之に同じです。

 

食事をする時の音がどうしたって? と思われるかもしれませんが、特に麺類を啜(すすっ)って食べると、ずずすーと音がします。日本人は、それが当然と考えています。

 

音を立てて食べなくちゃおいしくない、とか、客に音を立てて食べろ、とか強制する店の主人などもいるようです。

 

旅番組やグルメ番組なんかでは、「もっとおいしそうに音立てて食べて!」とか、指示があるとも聞いた事があります。

 

音を立てて食べようが音を立てずに食べようが、旨い物はうまいし、まずい物はまずいんです。

 

要は気兼ねなく気をつかわずに食べろという事なんでしょうが、それは日本人がずっとそんな食べ方をしてきたその文化を、正当化するからそんな論が至極当然と思われてきたのです。

 

では、結婚式やパーティで、ずるずるべちゃべゃ音を立てて食べたら、どうなるでしょう? 周囲の顰蹙(ひんしゅく)を買うと思います。

 

ではなぜ顰蹙を買う事になるのか? 

 

それは不快な音以外の何物でもないからです。私の亡くなった親父は、べちゃべちゃ音を立てて食事していました。子供心に、不快で嫌でした。

 

それが色濃く影響してか、私は食事は静かに頂きます。麺類も音を立てずに静かに食べます。

 

啜りませんから、音もしません。日本人は麺類は啜って食べるのが当たり前と、脳が勝手に思い込んでいるだけです。

 

私は音を立てない食べないですが、苦しくともなんともありません。何も難しい事はありません。ただ口に入れるだけです。それだけです。

 

外国人が日本人の麺類を啜る音を嫌ってヌードルハラスメントという感覚が、私にはよく理解できるんです。

 

自分の前世は外国人だったのではと思うくらいです。(私の前世は、いくつかあったと思います。ドイツの哲学者、大陸から渡来してきた渡来人、また戦国時代に生きていて、挫折した修行僧、また戦国時代、豊臣秀吉の九州制圧の折に没落させられた戦国大名の原田信種本人か、またはその長男のいずれかと信じています。

 

私が引き寄せられると言うか、好きになった場所は、すべて原田氏に関係のある場所で、何か切ない郷愁のようなものを感じるんです。

 

実際、彼等が歩んだ人生と同じような人生〔反・権力〕を送り、そして苦しんでいます。

 

また武道も二つ経験がありますが、それは決して柔道や剣道や空手ではなく、大陸系、もしくは大陸の拳法を基本につくられたものでした。

 

太平洋の海を見ても何も感じませんが、日本海から大陸を望むと、何か切ない郷愁のようなものを感じます)

 

実際、横の席で、ずるずるべちゃべちゃと音を立てて食事されたら、私は嫌ですし、相手が美しい女性でも、確実に幻滅すると思います。

 

一般の人から見れば、当然価値観が違うので、私のような人間は、変わり者と観られるでしようが、現代の世の中では、LGBTも市民権を得るようになってきました。

 

価値観が古い昔では、男は男らしく、女は女らしくと言うのが当たり前でした。変態、バケモノと差別され、親戚からは恥知らずと、世間体を考えてくれと、顔を歪められた時代でした。

 

それと同じように、潔癖症というカテゴリーも少しばかり認められていると思います。

 

その証拠に、ドアノブなしの開閉式の自動ドアになったり、蛇口を握らずとも手をかざせば水がでたりするのもそうだと思います。

 

時代は変化し、人の価値観も変わって行きます。音を立てて食べるも、静かに食べるも、それは本人の自由ですが、音を立てて食べる食べ方が世界で通用するかといえば、?マークがつくと思いますし、またそれを強要すべきではないと思います。

 

大半の日本人は音を立てて食べるのがおいしい食べ方、当然の食べ方と思い込んでいます。

 

裸の付き合いといって混浴も気持ちよさそうに湯船に浸かります。

 

しかし外国人はどうでしょう。確かに彼等は湯船に浸かるという文化がなかったかもしれない、でも彼等はまず先にバスタブで体を洗い、それからシャワーで汚れを落とします。理にかなっていると思います。バスタブの横に、トイレの便器があるのは辟易しますが……。

 

ちょっと横道にそれるかもしれませんが、日本には祭りがあります。

 

ところが、けっこう危険な、それも死傷者がでる過激な祭りもあります。祭りに参加する人は毎年、この為といって命を懸ける如くに燃え上がり、そして感動しています。

 

危険な事態を招いている、もしくは毎年怪我人が出るにもかかわらず、それを昔から続いている伝統だから当たり前と信じ、何の疑問も持ちません。

 

大相撲でも土俵には女人禁制です。これはなぜかと言うと、相撲は神事という神格化された聖域のもので、月の物、いわゆる月経のある女性を、穢(けが)れた存在、つまりは不浄の者と観ているからです。

 

神道は穢れを嫌います。だからその神事に則った伝統を守るべきという考えなのでしょう。

 

ではあなた達は、その穢れた部分から生まれてきたのではないですか? と言いたくなります。古い価値観、古い固定観念、古い脳はかわりません。

 

日本人は自分達に都合のいい事は正当化する悪い癖があります。

 

茶道でも表千家だったか、裏千家だったか忘れましたが、点てて頂いた茶の湯を静かに飲むものの、最後には、相手への敬意と感謝を込めて、大変おいしゅうございましたという意味を伝える為に、わざと、ずずっと啜って音立てる作法が正しいとされています。

 

音を立てるのが相手への礼儀というのは、ちょっとどうかなと、私も含めて外国人は考えるでしょう。

 

最近は日本食ブームで、外国人でも麺類を食べる人が増えてきたと思います。しかし、音を立てて食べるのが正しい食べ方とか、日本人はみんな箸で啜って音立てて食べるんだ、そういう文化なんだとは、外国の方には勘違いして欲しくないと考えます。

 

たとえば博多の祭りは締め込み姿でヤマを曳いて疾走しますが、他県の方に、福岡の男性はみんな締め込み姿で勇壮に走り回るんだと勘違いして欲しくないのと同じです。(博多区近辺のそういう伝統的な組織というか、組合というか、そういう一部の人達がやっている事であって誰でもやれるわけではありません)締め込み姿でお尻をぷりっと出して、公衆の面前を走り抜けるのが勇壮で男らしいとは私は思いませんので……。

 

福岡の人間からみれば、私は非組合員のようでしょうが……。

 

日本人はすぐに運命共同体的発想を良しとし、それを迫る傾向にありますが、私は日本人である前に、地球人です。

 

それが当然だ、それが当たり前だと考えて、その習慣から抜け出せないのは、日本人が人類的視野から見れば、井の中の蛙だからと思います。

 

日本文化を否定しているわけではありません。日本文化はすばらしいとは思います。

 

しかし、良いものは良い、悪いものは悪いというジャッジができず、(できても抗えず、もしくは認めたがらず)変えるべきものを替える脳力(脳の力=のうりょく)が欠如しているようにも思います。

 

また他人が理解できない私の癖として、言葉に敏感に反応するという癖があります。

 

例えば最近の若い男女はテレビのバラエティー番組の影響からでしょうが、男性ならば必ず自分の妻わ〔嫁〕という言い方をしますし、女性ならば必ず〔めっちゃ〕という言葉わ連発します。どちらも関西圏の言葉です。

 

〔嫁〕という表現は、その当人の両親や親戚、つまりはその当人の家系(いえ)から見た言い方です。正しくは妻とか家内とか女房とか、少し謙って愚妻とかいうのが正しい言い方です。

 

友人に自分の兄弟姉妹を紹介する時には、兄です(もしくは一番上の兄ですとか二番目の兄です)とか、妹です、とか紹介する筈です。長男です、次男です、長女です、次女です、とは普通言わないと思います。

 

また、〔めっちゃ〕という言い方も関西の人が使う分には何の問題もありません。それは関西圏の文化ですから何の違和感もありません。しかし関西の人でもない他県の人が、標準語でもない関西の言葉を普通に使う事に、私はちょっと違和感を覚えます。

 

私はバラエティー番組が嫌いで見る事はありませんが、バラエティー番組には関西の芸人さんが大挙出演していて、関西弁でしゃべりまくっています。その言葉を真似て〔めっちゃ〕という表現を用いる事に対して、私は「君達は自分(の意思)というものがないのか?」と思ったりします。

 

コンビニ業界が仕組んだ恵方巻きも、関西の習慣です。

 

マスコミは「恵方巻き食べましたか?」とか、食べるのが当たり前の如くに言います。ひねくれていると思われるかも知れませんが、「何で関西の習慣にお付き合いしないといけないんだよ、コンビニ業界の謀略じゃないか」と、思ってしまいます。

 

またマスコミはすぐに見出しなどで〔号泣〕という表現をさかんに用います。

 

〔号泣〕とは、声を張り上げて泣く事です。涙をにじませるくらいは号泣とは言いません。

 

どうせいうなら、それはすすり泣く事、〔おえつ〕です。また女性や女性アナウンサーは〔さびしい〕ではなく〔さみしい〕、〔しゅじゅつ〕を〔しゅずつ〕といいます。悪いとか間違ってるとかではありません。表現は自由です。

 

私は言葉に対しては、何故か敏感に反応する癖がありまして、地方のテレビ局が選挙の時などに新人候補に対して用いる〔しんがお〕という表現方法にも、?マークをつけたりします。言葉や表現方法はマスコミ・メディア・ネットを通じて拡散します。赤ん坊が親の言葉を真似て会話できるようになるさまと同じです。

 

どうでもいいよ、そんな事! と思われるかもしれませんが、みんなが使うから使う、みんながやるから同じコースを歩む、というのは、ちょっとオリジナリティーがないというか、自分の意思がないようにも感じます。

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