人助けや社会貢献は親子関係が要因?独善的や自己満足で愛を求めているエゴ

私が持っている普通の人がなかなか理解できないクセや習慣は大きく分けて2つあります。

 

1つ目は、悲しみや怒りを表現してはいけないとつい最近まで思い続けていたことです。

 

愛や感謝が大事ということは昔から薄々ですが理解していました。

 

なので、悲しみや怒りに囚われてしまって、そればかりを考える攻撃的な人間になりたくなかったのです。

 

そういう攻撃的な人間が身近にいて、悪口を聞かされたりし、ウンザリしていたというのもあると思います。

 

だからといってお腹の底に悲しみや怒りを溜め込んでしまうと、人間ダメになってしまうということをつい最近学ぶことができました。

 

溜め込んでも意味がなく、そもそも溜め込まない環境作りや、言動、適宜発散するといったことが重要であり、時には悲しみや怒りは表現しても良いということを理解したことで、肩の荷が軽くなったことを感じています。

 

恋人間等で、不満があってもほとんど言えず、限界までいってから爆発してしまうという人は割とよくいると思います。私もそういうことをし続けてきました。

 

爆発してしまうと、相手を傷つけて喧嘩になってしまうので、二度としないでおこうと思っていますし、もっと早くに気付きたかったです。

 

過去に戻ってやり直したいという後悔が常にありますが、その後悔や反省、教訓があるからこそ、人間は強く自分を維持できるのかなとも思います。

 

2つ目は、自己価値の低さからくる、人助けや社会貢献をしたいという一見善行にしか見えないことをしていますが、そのルーツを辿ると独善的や自己満足やエゴからしている行動です

 

親子関係が良好でなく、そこで愛情が足りてないと感じていて、自己肯定感や愛を求めるために、困っている人を助けたがります。

 

純粋な愛からできたらいいのですが、現時点でもまだそれが叶っていません。その部分でも松田さんには純粋な愛を感じたので、尊敬しております。

 

友人、恋人間においても、自分が思うできるだけ客観的かつ常識的な一定のラインまでアドバイスという形で具体的な自分の意見を打ち出し、そこそこの人数に感謝はされてきています。

 

ただ、自分が思うラインよりあまりに逸脱した方を前にした時、逆に攻撃的に近い否定をしてしまいました。”正しさ”というものを重視しすぎていて、感情やその人の辿ってきたルーツというものを尊重できていませんでした。

 

それをしてしまった時、勿論結果として相手は期待に応えようと頑張っていましたが耐えきれず、口論になり離れていきました。

 

私自身、当時生まれ育った環境が違いすぎて理解できず、裏で友人に悪口のような愚痴を言ってしまっていました。一番自分がしたくなかったことのはずなんですが。

 

そもそも、人の行動を自己満足で変えようとすること自体おこがましいんだなと気づきました。

 

ただ勿論相性はあると思うので、合わなければ距離を取るというのは重要だと思っています。

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