プロフィール

2005年に独りで起業、独りネットビジネスにこだわり15年ほど。『独りネットビジネス』にこだわり約15年。在庫なし、初期費用なし、維持費なし、安定志向、独りでできていつでも辞められるビジネスを専門にやっています。

健康問題

パチスロの打ち子で金を要求され続け、行方不明に…友人の死を目撃した

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私が43年間生きてきた中で1番ツラかった事は、友人Aの死を目撃したことです。

 

中学生の時に他の県から引っ越しをしてきたこの友人Aは、とても明るく、常に麻薬でもやっているんじゃないか?というくらいぶっ飛んだやつでした。

 

中学校は、3つの小学校が集まっており、知っているやつもいれば知らないやつもいて、とても新鮮でした。

 

本当に偶然、名前の順番で私の後ろの席になったAは、引っ越して来たばっかりで友達が誰もいないようでした。

 

顔見知りが誰もいないので、たまたま前の席になった私が唯一の友達だったようです。

 

性格も私と似ていたので、すぐに打ち解け遊ぶようになりました。

 

その年の夏の合宿で、女湯を覗きに行ったりバカな事ばかりをしていつも二人で先生や大人に怒られていました。

 

バカな事をしているうちにあっという間に年をとり、気がついたら29才でした。

 

ある時、共通の友人Cから「パチスロの打ち子をしないか?」という誘いがありました。

 

これが全ての始まりでした。

 

話を聞くと、その友人Cの兄(半チンピラ)がパチンコの店長と通じており、指定の台を大勝しやすい設定にしておくから、出た出玉の勝ち分をその店長とCの兄で分けるというものです。

 

打ち子の日当は1万円でした。

 

初めは、私はなんとなく気がのらなくて「やめておこう」と言いましたが、友人BとAはやる気満々でした。

 

そのあと数週間が過ぎ、私はいつも通りの日常を過ごしていました。

 

ちなみにA、B、C、私は共通の友人です。このA、B、Cは特に仲良く、よく遊んでいました。

 

私のところに、その打ち子の話が再度来たときには、AとBはもうすでに何回かやっていると言っていました。

 

そして、この権利を今度、50万円で売ってもらうと言っていました。

 

ますます怪しいと思いましたが、友人の兄ということもあり、警戒心が薄らいで、一緒にやろうと説得され、私も参加しました。

 

このまま詳細まで話をしてしまうと、特定されかねないのでこの辺にしておきます。

 

このあと、ずるずるとそのCの兄に金を要求され続け、最終的にはかなりの額を支払っていました。

 

1番多く金を渡していたのがAです。完全にターゲットにされていました。

 

そしてAは行方不明になりました。

 

どんなに酔っていても、必ずシャワーを浴びたいと言っていたあのAが、2日も帰っていないというのです。

 

すぐに捜索願いが出されました。

 

三日後、隣の県警から車が放置してあると連絡があったそうです。

 

警察の話では、本人はどこにもいなくてわからない。他人の土地なので車をすぐにどかせてほしいと言われ、私達も同行しました。

 

嫌な予感がずっとしていました。

 

悪い予感が当たらないようにとずっと祈っていました。

 

Aの車は、なんでこんなところに?というところにありました。

 

民家がすぐ近くにある、山の小道をちょっと入った雑木林でした。

 

私は「絶対にこんなところにいるなよ!」とAに向かって心の中で叫んでいました。

 

「あいつは居るわけない!」と自分で自分を励まし、雑木林の中を捜索しました。

 

そう言いながらも「もしも本当にAがいたらどうしよう」と、心臓が飛び出しそうになるのを必死で抑えながら懸命に探しました

 

みんなは車のすぐ手前から探していたので、私はみんなとは違う、もっと奥の方を探しました。

 

すると雑木林で囲まれたドームのような場所がありました。

 

外からは木が覆われているので中がよく見えません。

 

近づくと、なぜか1ヶ所だけ入り口のようにポッカリと開いていて、人ひとりがくぐれるような感じの場所がありました。

 

私が一歩足を踏み入れた時、奥の方に人がいるのを視界にとらえました。

 

私は、ここの土地の所用者だと思って、無断で入ったことを断りをいれにいこうとしたときでした。

 

全身に恐ろしいほどの悪寒が走りました。その所有者だと思った人はAでした。

 

友人Aが首を吊って死んでいました。

 

私は腰が抜けて動けませんでした。

 

声にならない声で、必死に友達とAの親父さんを呼びました。

 

親父さんの息子の名前を呼ぶ、あの叫び声が未だに耳から離れません。

 

そのあと私とBは、崩れ去るように泣きました。

 

本当に涙が枯れるまで泣きました。何時間泣いても彼はもう帰って来ません。

 

あのバカ騒ぎも、もう2度とできません。

 

私があのとき「やめておこう」ともう一度止めていたら、こういう結果にならなかったはずです。

 

このあとは酷いものでした。

 

Aの両親や彼女、小学校の友人から中学校の共通の友人、すべての人間から非難されました。

 

「お前達がAを巻き込んだ」

「お前達が彼氏を連れて行った」

「お前達があの優しい息子を奪った」と。

 

あんなに優しかった人達から全員に敵視されました。

 

息子のように可愛がってくれたAの親父さんも、死んだ魚のような目で私達を見ていました。

 

私とBは「死ね」と言われていると思いました。

 

本気で死のうと思いました。

 

電気すらつけず、真っ暗な部屋にずっととじ込もっていました。

 

携帯電話も解約し、外部の誰とも接触しませんでした。

 

しかし、その時の唯一の味方だった彼女(今の嫁さん)のお陰で何とか今は立ち直れました。

 

その時彼女は、毎日私の様子を見にきてました。

 

そしてやっと、こうして10年経ってあの現実と向き合えるようになりました。

 

子供ができ、私は家庭を持つことになりました。

 

こんな私を励まし、付いてきてくれた彼女を幸せにしなければなりません。

 

こんなバカな私を、親として慕ってくれる子供達を幸せしなければなりません。

 

私はもう死にたくありません。

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