ひとりぼっちの小学校生活。意地悪の標的にされ、教室で残酷絵を描いていた

正直、霊や生まれ変わりなどは半信半疑なところがあります。

 

また、そのような類の本は好んで読んでいた時期がありますが、実体験がなにもないので、あるのかも知れない、ないのかも知れない。

 

あると思っている又はあると思いたい人には霊は見え、生まれ変わりについては、単に古い子供時代の遠い記憶が都合よく歪曲されたりして既視感などがあるのかも知れない。と少し疑いの目で見てしまう自分もいます。

 

私の子供の頃はオカルトブームがあり、テレビや雑誌でも超常現象や心霊についてなどか盛んに取り上げられていました。

 

ホラー漫画や映画はものすごく好きなジャンルでした。

 

子供のころは学校ではいじめというか、意地悪の標的にされていました。

 

女の子たち特有の今で言うシカトをされていましたので、学校ではいつもひとりぼっちでした。

 

休み時間、ひとりぽつんと教室に残って、ホラーに影響された残酷絵などを描いていました。

 

話が脱線してしまいましたが、そのような孤独な小学生は一人で遊ぶうちに霊的な何かにもとても興味をもっていきました。

 

自宅の庭でひとり遊んでいるときに、庭木や鳥たちが言葉にならない声で語りかけてくるのを感じていました。

 

風にそよぐ葉にも、虫たちにも、私は友情のようなものを感じていました。霊とかではないと思いますが、心の中に直接語りかけてくるような感覚。

 

ひとりではないという感覚というのでしょうか。

 

誰も気づいていないけれど、私は知っていると思っていました。学校で飼育している鳥や兎も私だけには特別な感情を持ってくれているというような。

 

妄想なのかも知れませんが、未だにそういう気持ちはあります。

 

犬の散歩で訪れる森林では、日々の悩み、悲しみがあると、子供の頃と同じように語りかける存在があります。

 

木々は全て私を知っていて慰めてくれる。烏も私を知っているようです。烏は人の顔を認識できるそうなので、毎日歩いてくる顔はわかっていると思います。

 

泣いていると必ず風が吹いてくる。

 

背中に空気が当たる感じ。

 

何かが存在しているそれが霊なのか、ただの思い込みなのかはわかりません。

 

でもスピリチュアルな何かは実在すると思えます。

 

いつか来たことがある、見たことがある、そういう既視感はよく感じます。

 

生まれ変わりがあるかどうか、それはわかりませんが、カルマというのはあると思います。

 

因果応報という言葉があるように、為してきたことの報いはある。

 

人に対していたわりの気持ちや優しさを持っている人は、穏やかな人生を全うできるだろうし、逆に暴虐の限りを尽くすような人は悲惨な末路があるはずです。

 

私はひとりぼっちの小学校生活を送っていました。

 

子供時代の6年間は本当に長いです。そのほとんどを孤独に過ごしてきた、その日々は想像を絶すると思います。

 

クラスで無視される、悪口を言われる、仲間はずれ、席替えの班決めの時必ずひとり余る、そんな子供には生きている世界が辛すぎて、死の世界の方が身近に感じたりするものです。

 

死後の世界、生まれ変わり、今の自分の辛さは前世の報いなのかも知れない、幼いながらに本から得た知識でそんなことを考えたりしました。

 

子供時代は学年でも一番小さく華奢であったのでそれもコンプレックスでしたが、その後10代の間に身長も20センチ以上伸び、今では平均以上です。身体的なコンプレックスはなくなりました。コミュニケーション力もついて、あの頃の自分に教えてあげたい気持ちです。

 

もしかしたら、子供の頃に語りかけてきたのは今の自分の精神なのでは?などとふと思ったりもします。

 

あの時、辛くても学校を休まず、毎日翌日どう過ごそうと泣きながら寝ていた自分に今の私が語りかけていたのかも?

 

幼い頃に感じていた何か言葉にならない声のようなものが何だったのか、今だに答えは出ません。

 

霊はあるのかも知れない、ないのかも知れない。

 

でも何か人間の計り知れない自然界の力、自然界の精神のようなものがこの世にはあるとそれは信じています

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