おじいちゃんの死…髭をジョリジョリして嫌がる僕を見て笑顔の姿が思い浮かび辛い

一番辛かった死ですが、中学生の時に初めておじいちゃんが亡くなったことです。

 

涙が止まりませんでした。

 

小さい頃、関西から関東の田舎に遊びに行ったときの思い出がいっぱい浮かんできました。

 

ご飯を食べるときに、あぐらの上に僕を乗っけて、僕の顔に髭をジョリジョリして嫌がる僕を見て笑顔になってるじいちゃん。(ジョリジョリは嫌だったけど、じいちゃんの愛情が伝わってたので嫌じゃなかったです)

 

じいちゃんなりのコミュニケーションだったんだと思います。

 

農家をしていたので、納屋があってその柱にロープを吊して、手作りのブランコを作ってくれたのも覚えています。

 

じいちゃんが作ったトウモロコシ、スイカ、ナス、キュウリ、トマト。

 

夏に帰省していたので、夏野菜は僕は好きになりました。

 

中学生だったので、中学の登下校に着る制服で火葬場に行きました。

 

初めて人の骨を見ました。

 

焼かれた台は熱く、その上にはじいちゃんの遺骨がありました。骨盤も大腿骨も腕の骨も綺麗にしっかり形が残っていました。

 

じいちゃんが亡くなったとき、家の塀には、ものすごい数の名前の書かれた何かが立てかけられていました。

 

焼香をしてくれる人が数多く居て、「じいちゃん、いっぱいの人が来てくれる人やったんやな」と思いました。

 

今の僕が死んだら、両親と兄弟、親戚だけで終わると思います。

 

血のつながりがない人は、僕が死んだことすら知らないでしょう。

 

電話帳に家族以外の名前ってほとんどありません。友達が居ません。

 

死ぬときに、その人が生きてきた全てが現れると思いました。

 

悲しくて涙を流してくれる人は、生前にその人を助けたんだと思います。

 

困っている人を助けた数が多ければ、亡くなったときに、お葬式に来て「お世話になりました」って焼香してくれると思いました。

 

今までの自分は、自分のことだけしか見れていませんでした。

 

自殺を2回しようと思ったことがありますが、今は自殺をしようとはまったく思いません。

 

「あんたが自殺したらお母さん、生きていかれへんわ・・・」って言葉を聞いたからです。

 

高校生くらいから母親のことを恨むようになり、浪人の夏に「死ね」と言って家出をしましたが、親戚に連絡をして泊めてくれるように話をしてくれたのも母です。

 

もう自分には、じいちゃん、ばあちゃんはいません。

 

今は、オトンがおじいちゃん。オカンがおばあちゃんになっています。

 

僕は結婚して子供がいないので、オカンと呼んでいますが、兄弟の子供はおばあちゃんって呼んでます。

 

僕は母の日にカーネーションを渡すこと、誕生日にケーキを買うことをオカンが亡くなるまでしようと思っています。

 

「毎回、赤色は飽きたから別の色が良い」と去年に言っていたので、今年は黄色のカーネーションを渡しました。

 

「あと、20回はお祝いさせてよ」

 

「80歳は軽く超えようや」って声をかけるようにしています。

 

自殺しないで良かったなと思います。

 

自殺をしようと思っていたときは、自分が死んで終わりと思っていましたが、自分が死んだ後の生きている人をイメージすることが全く出来てませんでした。

 

ただただ悲しませるだけの死はせず、死ぬまで生きようと思います。

 

あと、死んだときに「○○さん、ありがとうございました。」と、来たいから来てくれる人がいてくれるような振る舞いをしようと思います。

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