動物が好きに生きるとは?人間に飼われることか、自然界で仲間と生きることなのか

今は死ぬことより満足に生きられない方が何万倍もいやだと思って、あまり死に対して強い負の感情がない僕ですが、昔は死について考えて眠れない夜もありました。

 

自分がこの世界からいなくなることが言いようもなく恐ろしく感じたのを覚えています。

 

しかし、それも本当に一時期だけなので、自分はほかの人と少し死の認識が違うのかな?と思っています。

 

もともとそんな感じだったのですが、とあることがきっかけで死に対する恐れがまったくなくなりました

 

以前、父型の祖父が亡くなったので、その葬式に出たのですが、僕は不思議と悲しいと思うこともなく普通にしていました。

 

同様に親戚のみんなもあっけらかんとした感じでした。父も父の兄も、いつもと変わらない様子でした。

 

これは別に祖父が嫌われていたとか疎まれていたとか、そういうわけではありません。

 

むしろ、盲目ながら町の医者をやっていた優しい祖父は、多くの人から慕われていたように思います。僕もその一人です。

 

この葬式の最中、僕はなんとなく「おじいちゃんは充分楽しく生きてきたんだろうな」と勝手に想像して、父や父の兄が悲しんだ様子を見せないのも、祖父の生き様が二人に悲しいと思わせないんだな…。という風に思っていました。全くの想像ですが。

 

もちろん二人とも実の父を亡くしたわけですから、悲しみがないわけがないと、今となっては思います。僕も今身内をなくしたら、かなりこたえると思います。

 

しかし、仮に父が悲しんでいようと、僕の想像上の祖父のように、人に悲しみを感じさせないぐらいに好きなことをして楽しく生きようと思い始めました。

 

ということになれば、死がつらいのは動物とか、感情がよくわからないものです。

 

祖父が亡くなる数年ほど前に、友達の飼っていた犬が病気で死んでしまったということがありました。

 

犬で、しかも友達のペットということだったのですが、なぜかとても悲しかったのを覚えています。

 

自分の家でも犬を飼っているから、友達の犬と自分の犬を重ねてしまっただけかもしれませんが。

 

ただその時は、結局いくら「ペットは家族」といっても、人間とそれ以外では感じ方がどうしても違うんだなという風に思いました。

 

動物にとって「好きに生きる」というのが、人間に飼われて犬小屋の中で大切に育てられることなのか、厳しい自然界の中で本当の意味での仲間と生きていくことなのかがわからないので。

 

僕が生死にかかわる体験をした(のを覚えている)のはこれぐらいで、むしろこれから多くの生死を目の当たりにしていくのだと思います。最期自分が死ぬときに悔いなく逝けるように、今を楽しむことにします。

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