肝臓癌の父。抗がん剤治療も意味ないと急変。もう後悔で涙を流したくない

 昨年、父が他界しました。享年76歳でした。

 

父は私が小学校低学年の頃には母以外の女性がいて、子供もいました。

 

そんな父でしたので、母は私をつれて父から離れ、結婚自体も親族一同から反対されていたようなので、誰に頼ることもできなく私を育てていたようです。

 

そんな生活も1年位で父に住んでいる場所を見つかって、ちょくちょく母と2人で住んでいるアパートに来ていました。

 

私は小さい頃から父親というものは仕事であまり家に帰ってこないものと思っていたので、この環境が不思議とは思ってませんでした。

 

だんだん、歳を重ねるににつれ、愛人の存在、母違いの妹がいる事がわかり、自分のおかれている環境が特殊だとわかりはじめました。

 

中学、高校と思春期には、父は商売をしていたので商売人としては尊敬できるが父親としては最低だといつも思うようになり、私が母に離婚を何度も勧めていました。

 

そんな中、だんだん父が家に帰ってくる事も多くなり、なあなあの生活がつづいてました。

 

私も大学を卒業して社会人になり、父と同じ業界に就職しました。

 

地元の会社なんで父を知ってる方も多く、昔父に世話になった、とか助けてもらったとか良い噂やお礼ばかり耳にしました。

 

家庭犠牲にして仕事と女に打ち込んだのか~が感想でした。

 

そんな父の会社がバブル崩壊後5年後位から傾きはじめました。

 

最終的に私に継がそうと思ってたようですが、好景気の時に親戚の借金の保障をしていた為、案の定バブル崩壊とともに親戚の会社が2社倒産しました。

 

残ったのは父が保障した1億弱の負債でした。

 

帳簿をみて私は継がないし、もうつぶした方がいい。家も全部手放したほうが楽なんじゃないかと何度もケンカした記憶があります。

 

そういう状況を見てるのが嫌で私は逃げるように他府県に転職をしました。

 

となりの県とはいえ朝6:00に家を出て早くて21:00帰宅という環境でしたので、同じ敷地内に住んでいても顔をあわせる機会も少なくなりました。

 

そんな中、ドンドン社員がやめていき(小さな会社なんで10人しか居ませんが)最後3人で営業してるときに中心の社員が私に「帰ってきてくれ、社長も歳で営業に支障がでてる」と連絡があり、父と母と少し話す時間をつくりました。

 

以前はやりたくないなら、やらなくて結構、自分が作った会社だしつぶすのも俺が決めるの一点張りだった人が、あと何年やれば負債がへって楽になる、この時点で自分が破産して~と自分なりに母や私にすこしでも迷惑かけないようにと考えていました。

 

おそらく孫の存在が一番大きかったと思います。

 

父も変わったんだなーと思ったのと、自分も厳しい職場環境があったのもあり、父の会社へはいりました。

 

私が入ったと同じくして中心社員が退職しました。

 

あとで分かった事ですが、使い込みや部下に全部仕事をおしつけていたようです。

 

父はそれが分かってかなり落ち込んでしまい、いっきに老けてしまいました。

 

その社員の親からたのまれ20年以上かわいがっていたようです。

 

まーしかたない、閉めるにしろ何か手をうたないと既に手奥れだしと言っている矢先に私が脳内出血で倒れてしまいました。

 

幸運?な事に運ばれて1ヶ月でほぼですが普通に話せるようになり、右半身麻痺のリハビリも順調でした。

 

父は4ヶ月の入院中に3度だけきて1度は息子にパンをわたしに届けさせて自分は車中でまっていました。

 

メールではもうすぐ退院?と1ヶ月すぎに送ってきてたので楽観し過ぎやろーと思ってました

 

そんな中、妻より父があまりに体調が悪いので検査へいってもらったら肝臓癌で持って6ヶ月との話だとききました。

 

入院も後2ヶ月だったので主治医に事情説明して1ヶ月前倒しで退院して、すぐに父をセカンドオピニオンにつれていきました。

 

癌発覚が9月、セカンドオピニオンが10月でした。

 

先生いわく来年4月は無理で年越せるかどうか?です。

 

1ヶ月後全く変わってます、試せる薬もない。

 

初めて 大人になって会話中涙がでました。

 

覚悟もしてたし、母ほど父にたいしては思う事はなかったのに涙がとまりませんでした。

 

うつむいて先生にお礼を言うのが精一杯でした。

 

帰りの車中で嫁と年内ってあと3ヶ月、、おやじに説明できないなこれはと話しました。

 

帰って父がどうやった?って聞いてきました。

 

ああー来年6月まではもたんと覚悟していた父がやっぱり生きたいんだ、、あたりまえだなと思いつつ。

 

特に新しい薬もないって。いまの治療がベストらしいいよ。とつたえました。

 

父のまわりは、ここ1.2年癌でなくなっている知人が結構居て、苦しんで亡くなっているのを見てきたので直らないのに延命だけで苦しみたくない、というのが父の希望でした。

 

じゃぁ1度だけ抗がん剤治療して、しんどかったり、効き目もほぼなかったらやめよう、ホスピスに移ろう。

 

1度は孫のためと思って戦え、私もまだこんな体(後遺症がのこって足を引きずって歩いてました)だし。と説得してはじめました。

 

11月の1週目に1週間入院して抗がん剤治療をしましたが、結局医師から2回目はやめましょう、全く意味ないに等しい状態ですとつげられました。

 

父はというと、抗がん剤の前に栄養材の点滴がすごくきいたらしく栄養剤を週に1回することになりました。

 

この頃の父は朝にパンを2.3口と牛乳をコップ半分、あとは夕食2.3口程度だったらしく完全な栄養不足でした。それ以上たべたりすると、下痢になってたようです。

 

11月の2週目に点滴して3週目の点滴の朝、階段が下りられないと母から連絡あり私もいきましたが、私も障害がのこっており父を担いで下りることもできず、救急車をよびました。

 

父はかなり抵抗しましたが(月末の支払い等会社の事が心配)一旦入院して月末外出届けだして一緒に車でまわろう、その時全部教えてと伝えました。

 

それで納得して病院に入院。

 

入院準備の物を買い集め、部屋にもどるともうお母さんいったで。と言ってたので、「じゃあ 明日また朝来るわ、書類関係やら色々いるならまたもってくるしなー」と言うと「おう」と返事があって部屋をでました。

 

これが父との最後の会話でした。

 

その夜急変して逝ってしまいました。

 

今から思うと、覚悟はしていたしやることやったと思っていましたが。

 

半年以上たった今、どんどん後悔することがでてきます。最後看取ってもらえず寂しくなかったのか、なぜ父を残して帰宅したのか。

 

なぜ、どうして?がいっぱいです。

 

父の死後、後悔が父と関係なくいろいろあり、なんでも後回しにする癖をなおそうとするようにはなりました。

 

まだまだ直しきれてませんんが、少しづつ治せばいいかなと思っています。

 

もう後悔では涙をながしたくない。

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