中学校一年生から登校拒否。先生のフルスイングの暴力による体罰が原因

 自由な人生を選択できる世の中にあるにもかかわらず、「こうしなければならない」「こうあるべきだ」みたいな義務感などが日本人の心に宿っており社会に対してや、知り合いや他人、そして自分に対しても不満などに思うことがあります。

 

一昔前より今日はとても簡単に海外に行けるようになり、日本の街を歩いていると毎日、かならずと言っていいほど、都会では外国人を見かけます、

 

パソコンにアクセスすれば世界の人と簡単にチャットでき、街へくりだせば、多種多様な価値観で彩り飾られています。

 

そして仮想通貨というものが出てきて、将来は国境を越えた通貨としてボーダレスに通用するツールになると思っています

 

そんな時代の今日、大人になった私に地元の母校(小学校・中学校)に訪れる機会が訪れました。

 

自分を振り返るきっかけとして、必然な機会であり、この機会を自分の心が引き寄せたんだと思います。

 

実は私、中学校の一年生の夏から登校拒否です。

 

でもこの経験が海外に住むという決断を生み、定時制高校とアルバイト生活、勉強を繰り返し、なんとかアメリカの大学に入学できボストンで学生生活を送り、そして卒業しました。

 

そのアメリカ学生生活は夢に生きたかけがえのない時間です。

 

その感覚を踏まえながら、自分が通っていた小学校・中学校を仕事で訪れ、勉強する生徒がいる教室を横切り、運動場で駆け回る小学生を眺め、あの頃とまったく変わりのない「学校」を体験しました。

 

なつかしく新鮮で自分を振り返るには十分な経験です

 

僕が学校に行かなくなったのは「先生」の体罰です

 

信頼するに値する先生のフルスイングの暴力です

 

今日、そんな体罰はないとは思っていますが何気に眺めていた、中学校の運動場で生徒がスピーカーから流れてくる行進曲で列をつくり掛け声を揃え、指導者が声をはって生徒に声をかけ、腕をふって、足踏みを揃えて、行進の練習する生徒を見ました。

 

「なにこれ・北朝鮮?」これが正直な感想です

 

世間をしらない大半の学生は、それが普通だと感じ、そして世間をしらない家族は学校生活で教育される事を普通だと、大半が考え・疑問に思っていないと思います。

 

でも実際には学校生活と社会はまるっきり違う世界です

 

これだけ進化のスピードが速くなっている時代に僕が受けた教育とまったくかわらないスタイルで今も義務教育が行われている教育現場に正直にとまどいます

 

自由な選択の出来る今日、「こうしなければならない」「こうあるべきだ」という義務感で「本当の人生」を歩んでいない人たちはどれくらいいるんでしょうか?

 

そしてそれは少なからず「学校教育」が時代に対して後れているからだと思うと、僕が苦しんだように、今もたくさんの学生が苦しんでいるんだなと思います。

 

「人生の大切なこと」

 

このテーマを義務教育で教えれていない教育現場が残念であり不満かもしれません。

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