幸せを感じると「捨てられる日が来るのでは」と怖くて、自分から逃げてしまう

こんにちは

 

私は小さい時に親に捨てられて、物心ついた時には養護施設にいました。

 

そのことについて自分では不幸だとは思っていません。けれどそのことが私の性格に与えた影響は大きかったと思います。

私が人とうまく付き合えない原因の一つであることは間違いないと思います。

 

施設の中で育つ子にも、それぞれ違った背景があり、入所する年齢も違います。60人ほどいた児童の中でも、親の名前も顔も分からない子は私くらいでした。

 

狭い施設という集団の中で暮らしていると、子供同士の中でも順位付けができてきます。

 

年上は年下より強い。兄弟のいる子はいない子より有利。親のいる子はいない子を馬鹿にする。

 

私が施設で学んだことは「どんな状況でも人間は、自分より下の人間を作ろうとする」ということでした。

 

学校では「施設の」といじめられ、施設の中では「親のいない子」といじめられる。逃げ場のない生活の場でのいじめは辛いものでした。

 

中学、高校と成長するにつれ、施設内での暴力的ないじめは無くなりましたが、「親のいない子」という位置づけは変わりませんでした。

 

と言っても私は小さい時から、決して暗い陰気な子供ではありませんでした。むしろ人より明るく、クラスでも元気な子でした。

 

自分が優位に立てない状況である自覚はありましたので、それを補うかのように勉強はあまりできませんでしたが、クラス委員をしたり、生徒会の役員をしたりして、人から生い立ち以外のことでバカにされる要素を作らないようにしていました。

 

でも実は、学校へ行って友達ができても、自分の立ち居振る舞いが人とは違うのではないか、親のいない子とバレるんじゃないかと心のどこかで怯え、仲の良い友達ができても一歩踏み込めないまま、その場で同調するのに一生懸命でした。

 

交際相手ができても相手のことを好きであれば好きなほど、その人の前では食事やコーヒーを飲むことさえ怖くなっていました

 

社会に出ても会社でも「子供を捨てる親なんて、犯罪者なんじゃないか」などと言われました。

 

それでも私の生い立ちを気にしないと言ってくれる人と出会い、20才そこそこで結婚し、その人と暮らすうちにようやく「普通の人としてのスタートラインにつけた」と実感しました。

 

それまでの恐怖心のようなものは克服できたと思うのですが、今も人との付き合い方が分かりません。

 

結婚しても、離婚した後に交際した異性とも、幸せだと感じてしまうと「いずれ捨てられる日が来るのでは」と怖くなり、自分から逃げてしまいます。

 

長年付き合いのある同性の友人とも、仲は良いのですが、どうしても合わせてしまいます。

 

子供の時に自分で植え付けてしまったコンプレックスなのだと諦めています。

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