尾形乾山を思うと泣ける。作品集をめくると号泣し、閉じると涙はピタリと止まる

こんにちは。

 

今回も、もし的外れな書き込みでしたらお許し下さい。

 

2年前の話です。私はその頃、派遣社員としてホテルのフロント業務をしていました。お客様にオススメの観光地などをご案内することも多々ありました

 

そのさらに数年前に友人から、滋賀県の山の中にある「MIHOミュージアム」という美術館がとても良かったから、機会があれば是非行ってみてと言われ気になっていました。

 

私が勤めていたホテルも滋賀県にありましたので、時々ミホミュージアムからも案内が送られてきて、パンフレット台に並べながら見ていました。

 

ある日、ホテルの友人と休みが合い、どこかへ遊びに行こうという話になりました。

 

ちょうどホテルに招待券があったのと、友人は一度ミホミュージアムに行ったことが有り、行く道を知っているから運転もしてあげる、と言うので行くことになりました。

 

正直その時はあまり乗り気ではありませんでした。何故なら、私は美術館に行くなら絵画を見たいと思ったのに、その時の展示は「マハラジャの宝石展」と「焼き物展」だったからです。

 

元々宝石にはあまり興味がありませんし、焼き物は好きですが、生活に使う物が好きなのであって美術館に展示してある物など価値が分かりません。

 

ホテルにあるパンフレットを見ても「せっかくの機会なのに残念だな」と思っていました。けれど今回は「ミホミュージアム」に行くことが目的なので、「とにかく一度行ってみよう」と友人にも言われ、出かけることにしました。

 

その美術館は本当に山の中にあり、車でないとずいぶん時間がかかりそうで、この機会じゃないと来られなかったと思いました。

 

到着すると、山を切り開いた広々とした敷地にトンネルや橋があり、空気も景色も良く、ロケーションだけでも素敵な美術館でした。

 

インドのマハラジャの宝石展も思った以上に素晴らしく、見応えがありました。友人と二人で楽しく展示を見たり、カフェでケーキを食べたりと休日を満喫して、そろそろ帰ろうかとなりました。

 

「あ、もう一つ焼き物の展示があるから、それも見てから帰ろうよ」ということになり、「乾山」と書いた展示室に入りました。もともと教養の無い人間ですから、それを「けんざん」と読むことも知りませんでした。

 

展示室に入ってお茶碗など見ながら、尾形乾山なる人が尾形光琳の弟であることや、有名な陶芸家だったことなど知りました。

 

でも乾山の作品のほとんどが、料亭などで使うような十客1セットのお皿ですとか、小鉢や出汁次ぎなど、味わいがありますが感動を呼ぶような大作ではありませんでした。

 

作品を見ながら展示室を進むうちに、私の中におかしな感情が生まれました。

 

なぜか作品を見ていると目頭が熱くなり、涙が出そうになるのです。

 

そしてそれは、美術館の焼き物展示の際によくあるように、お茶碗などに添えてある、裏にある銘の「乾山」と書かれた写真を見た時に一層激しくなるのです。

 

私は自分で訳がわからず、友人の手前こらえながら見ていました。けれど出口までの作品の多さに無理だと思い、友人に打ち明けました。

 

「この人の作品は良いと思うし、見ている途中で大変申し訳ないけど、私はこれ以上見られないので、出てもいい?」

 

すると友人は私の様子がおかしいことに気づき、一緒に出てくれました。

 

展示室を出ると全く普通の状態に戻った私は友人に、なぜか作品を見ていたら涙が出るのをこらえられそうになかったと説明しました。

 

友人と二人で、きっとあの展示室には何かあって、良くない空気があったのだろうと気を取り直して売店で遊ぶことにしました。

 

私は美術館の売店が好きで、出てきた展示室の前にある売店と、建物を出てから美術館の出口にある売店にも立ち寄りアレコレ見ていました。

 

美術館の売店には、その時の展示作品を絵はがきにして売っていることがよくあります

 

何気なく、先ほどの「乾山」の作品の絵はがきを見てみると、展示室にいた時のように泣けてきました。写真なのに。

 

私は自分の状態にまた驚き、友人に「自分でも全く理解出来ない。あまりにも不思議で仕方ないから、この人の作品集を買って帰る」というと友人も不思議がり、なぜか作品集を買ってくれました。

 

もう訳がわからず、とにかく帰ろうと言って二人で車に乗り込みました。私は何も見なければ至って普通の状態でしたし友人は半信半疑な気持ちだったと思います。

 

車の助手席に座り、エンジンをかけようとする友人の横で「ホント、何だったんだろうね」と作品集をパラパラめくったとたん、私は号泣しました。

 

まるで子供のように声をあげ、泣きじゃくりました。50過ぎたオバサンが声をあげて泣きじゃくっているのです。

 

友人は運転席で凍りつきました。

 

でも驚いているのは私の方です。大人になって涙を流して泣くことなど滅多にあることではありません。ましてや人前で・・ 

 

泣きながら私は泣いている自分がなぜ泣いているのか全然解らず、それでも涙を止められず困惑しました。

 

作品集を閉じると涙はピタリと止まりました。「嘘でしょう?」と、もう一度開くとまた号泣。

 

「もう、これは何かに取り憑かれた、早く帰ろう」と逃げるように帰りました。

 

「何だったんだろう」と話しながら高速道路を走り、すっかり普通の状態の私はその後も友人と買い物や夕食に行き、不思議な一日が終わろうとしていました。

 

友人と別れて自宅に帰り、「思わぬ所で本当に不思議な一日だった」と落ち着いたところで、もう一度作品集をめくってみたところ、一人の部屋で夜中に号泣していました。

 

それも閉じればなんともないのです。

 

これはおかしい、どうすればいいんだろう と、それからパソコンに向かい、「尾形乾山」なる人について調べました。

 

兄の尾形光琳は有名な画家ですので色々な資料がありますが、弟乾山については情報が少ないのです。

 

それでも私の自宅から車で20分ほどの所に乾山が作品を作っていた窯跡があると知って、次の朝、仕事に向かう前に立ち寄ることにしました。

 

翌朝、普段より1時間早く起きて仕事に出かける準備をしながら「別に変な夢も見なかったし、体調も普通だし、会社と正反対の方向にわざわざ立ち寄る必要も無いかな」と思いましたが、せっかく早起きしたのだし途中まで行って引き返してもいいんだし、と出発しました。

 

車で20分ほど、と書きましたが、出発して5分ほどで運転しながら涙がボロボロ流れ困った状態で山の中にある窯跡に到着しました。

 

車の離合が難しいほど細い道で、人も通らず、窯跡に建つお寺は拝観寺ではないので入ることもできず、ただそこに立っていました。

 

自分ではその場所に行ったらどうなることかと少し心配していましたが、涙も出ず、「乾山窯跡」の石碑の前で何故か落ち着いてしまい、しばらく動けず佇んでいました。

 

何事もなく窯跡を後にして職場に出勤したのですが、その後が大変でした。

 

フロントに立っていてもパンフレット台においてある美術館のパンフレットが目に入ると泣けてくる、「尾形乾山」のことを思うと泣けてくる、一日中ウルウルして、人に説明しても泣けてくる状態で困り果てました。

 

心の中では普通の状態なのに、どうしようも無いのです。

 

一週間後、困り果てた私はインターネットで調べた、東京巣鴨の尾形乾山のお墓を訪れました。

 

お墓を見た瞬間、「ああ、ここにはいらっしゃらないな」と思いましたが、他に思い付くことが無かったので、お墓の前で手を合わせ、「どういうご縁かは存じませんが、仕事になりません。どうぞ安らかにお眠り下さい。」とお伝えしました。

 

それから少しマシになった気もしますが、何故か仕事で陶芸関係の話が続いたり、伺った作家さんの工房に乾山のオマージュが置いてあり、「あれって乾山ですよね?」とお声をかけると、その一つをくださったり、陶芸とは無関係だった私の周りに乾山の陰がある気がします。

 

今現在も乾山を思うと涙がこみ上げてきますし、これを書きながら目頭が熱くなっています。

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