小学一年生で友達に石を左目に当てられて失明。人とは違うと無意識に感じる

 初めまして。この文章を書こう・送ろうとするまで1週間悩みました。

 

自分のことを書いたら自分がなくなってしまうような感覚に襲われたのです。

 

見てもいない人に自分の悩みを打ち明けることが怖い、そう思っていました。

 

私は今41歳です。松田さんとほぼ同じ年代です。

 

小学一年生の時、近くの神社で友達と遊んでいたとき石を左目に当てられて失明をしました。

 

これがきっかけで自分は人とは違うということを無意識に感じされる人生を送るようになったと思います。人とは違うところがあるからなるべく一人で遊ぼうっていう感じでした。

 

この時代はファミコンがすでに世の中に出ていて、ゲームにあこがれを感じるようになりました。

 

仲の良い友達のところでゲーム画面を集中してみて、ゲームが終わって画面外を見たときにその世界が左から右へと勝手に移動するように見えました。ゲームにはまり込んでいました。それくらいゲームが大好きでした。

 

ただ、両親はファミコンを自分には買い与えてくれませんでした。

 

今使えている右目にも異常が来るといけないと思ったのでしょう。今だからその気持ちがなんとなくわかるのですが、当時は、親の気持ちがなかなか理解できませんでした。

 

小さい時から病弱だったので学校に行く日といかない日が2対1の割合でした。

 

習い事としてピアノとそろばんと習字と水泳を小学生の時やっていました。本を読むのが好きだったので、学校の勉強は自分で教科書を読めば大体わかる状態でした。

 

勉強で悩んだことはないのですが、友達からは「お前、学校来てないのになんでわかるんだよ?」みたいな感じで距離を取られていたような気がします。実際はそんなことはなかったような感じですが、自分が勝手にとってたのだろうな、と思います。

 

対人関係でいつも引っ込み思案・変な気を遣う癖が目のけがをして以降、体に染みついてしまったのだと思います。

 

自分は人と違うから、自分は人と同じようにできないんだ そういう気持ちになっていたと思います。

 

大学を卒業したとき、就職氷河期のど真ん中にいて、自分は社会の先生になろうとしていたのですが、当時の倍率は250倍くらいでした。500人くらい受けて社会の先生になれたのは2人でした。当然自分はなれませんでした。

 

何もしないわけにはいかないので、フリーターでコンビニでバイトをしながら週1回不登校の集まるコミュニティーで一緒に遊んだり話をするようなことをしていました

 

そこでは意外と自分と話をしてくれる生徒が多かったように感じます。

 

自分と同じように、言葉にできない苦しみを持った生徒がいて、お互いを見ただけでなんとなくわかる わかりあえる空気がそこにあったと思います。

 

そんな時に、学校の先生にはなれなかったから自分で学校を作って人に教えられたら幸せだろうなと強く思えるようになってきました。

 

26歳の時、実家の離れに今の教室(平屋建て)を作って今現在も細々と仕事をしています。お金は普通のサラリーマンより少ないのですが暮らしていけないということはありません。

 

ただ、競馬などのギャンブルで使っていいお金があればほぼ全部使ってしまうということを繰り返しています。なので、貯金はほとんどありません。

 

松田さんの動画を見るきっかけとなったのはつい最近で、なんとなく啓発モノの動画をぼーっとみていたらひまわりさんの動画を見ることになって、そこに松田さんと対話している動画をたまたま見たときに はっと感じました。あ これだ!

 

整然としていない文章で申し訳ありませんが、久しぶりに心が躍るような気持ちを感じ始めています。

 

勇気をもって松田さんに文章を書いて送ろうと思いました。読んでくれてありがとうございました。

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