14歳(中学1年)の夏休み初日に脳出血で倒れた父。成績表がショックだったのか

 私は昭和38年7月1日ブラジルのサンパウロで生まれました。

 

移民が流行った時に私の家族も父母兄弟姉妹の6人でブラジルに客船で渡ったそうです。

 

船は沢山の港に泊まり移民を乗せながら半年かけてブラジルに到着したそうです。

 

長男が大学入学したてにも関わらず頭数合わせで強引に連れていかれたようです。他の兄弟姉妹達は小さかったのでついて行くしかありませんでした。ただ、そのお陰で私は誕生出来たようです。

 

今となっては両親も亡くなっていて真実を聞くことが出来ませんが、私はすぐ上の兄と12歳離れています。

 

つまり本当は生むつもりは無かったのだけれど、お金が無くて中絶する手術を受けられなかったと言われました。生んだ場所も自宅で直前まで畑仕事をしていたそうです。

 

そんな感じなので高校生の頃までは「私は望まれて生まれて来たのではないな」と思っていました。

 

ただ社会人になる頃にはそんな事はどうでも良くなっていたと思います。

 

子供は親を選らんで生まれて来る訳ですし、私からすれば両親は合格していたのでしょう。

 

ただ、父親が50歳、母親が45歳の時の子供ですから余り長くは暮らせないだろうなと子供心に思っていました。

 

私が6歳の時、移民生活が良くならず諦めて日本に帰って来ました。まず私と両親の3人で帰国し、次いで次女と次男が日本に戻ってきました。長男と長女は今でもブラジルに残って生活しています。

 

私が8歳の時両親が離婚をしました。

 

母親が出て行きましたが私が小さかった事もあり、自転車で遊びに行ける距離に引っ越してくれました。毎週末遊びに行っていましたので寂しさはあまりありませんでした

 

父親も許してくれていましたし。

 

そんなこんなで父親との二人暮らしが続いていたある日、忘れもしない。14歳(中学1年)の夏休み初日の夜に父親が脳出血で倒れました。

 

家に電話が無かったので近くの公衆電話まで自転車を飛ばして救急車を呼びました。

 

家に到着した救急隊員が即座に「覚悟しておいて下さいね」と私に耳打ちしました。

 

まだ、母親がそばに住んでいましたのですぐに連絡して病院に来て貰いました。

 

救急隊員の言う通り倒れてから一度も目を覚まさずに2日で逝きました。

 

父親が倒れた原因に身に覚えがあったのでとても後悔しました。

 

父親は頭が非常に良く、勉学の為なら毎日3時間の睡眠時間で良いと考える人でした。

 

私はと言うと小学校までは遊びに夢中で成績は中の下。中学に上がったら勉強するからと言ってましたが、最初の成績表は散々たるものでした。

 

見せない訳にもいかず、恐る恐る見せたのですが、目が点になっていたのを覚えています。怒鳴られると覚悟しましたが何も言いませんでした。

 

その1時間後に倒れたのです。元々血圧が高かったので成績表を見てショックを起こしたのだと思っています。

 

この事はまだ誰にも言っていません。

 

その後は母親に引き取られました。

 

のちに次女も合流して3人暮らしになりました。母親も高齢だった為、次女である姉が家計を支えてくれました。私が社会人になるまでひたすらです。

 

結局婚期を逃して独り身のままです。そんな姉も6年前に自宅アパートでやはり脳出血で倒れました。

 

一人暮らしだった為、発見が遅れ重度の麻痺が残りました。まだ、63歳と若かっただけに悔やみきれません。

 

右脳をやられた為、左半身が麻痺し、感情表現も少なくなりました。

 

今は東京の特別養護老人ホームにお世話になっています。

 

実は母親も脳梗塞で倒れ、最後はガンで亡くなりましたが、世話になった三人に恩返しが出来ずに居ます。

 

松田さんの教えを忠実に守って時間はかかるかもしれませんが、利益を出せるようになって、姉に少しでも楽しい思い出を創ってやりたいです。

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