認知症の母と、統合失調症の弟。父はガンの末期で地獄絵図のような日々を生きた

私は、小学校教師が、超多忙でしたので、とても苦しかったです。

 

何故ならば、現場はとても忙しく5分のトイレもなかなか行けない。

 

さらに、持ち帰りの仕事も多く、子育てしながらも、毎日、朝早く、いえいえ2時3時の深夜に起きて仕事をしていました。

 

学習指導主任と学年主任、教育相談と、仕事を頑張れば頑張るほど、やらない先生の分も任されました。

 

子育て中は、子どもも喘息やアトピー、肺炎とかで入院もしたので、病院に仕事を持っていって泣きながら看病しました。

 

隣の新任の先生のクラスに、いじめが起きたときには、休み時間もなく解決したり、合間に先生方の悩みを聴いたり………夫は、他人の心がわからない人で、カッとなりやすく言葉の暴力が多く……仏教書を読んでは、自分の心を落ち着かせていました。

 

自分さえ、明るくしていれば家庭はなんとか乗り越えられると、思っていましたが、39才で心身共にオーバーヒートを起こし、左下半身麻痺になってしまいました。……それも、不思議な出会いで治していただきました。

 

現在の教員生活は、忙しすぎて、文書処理も多すぎて、どこかが間違っている‼と、ずっと思っていました。きっと、現在でも、苦しんでいる先生方はたくさんいると思います。

 

私は、片付ける暇もない毎日の生活。寝る暇もない毎日。自分自身の子どもをみられないはがゆさ……

 

(娘は、「39才で私が倒れたときが、お母さんが家にいてくれたので、いちばんうれしかった。」と、いっていました。)

 

こんな日々の中で、私は、自分自身の子と、どこかでゆっくり関わりたい!と、思っていました。

 

……今、退職して、週の半分は東京にいる長女のところに泊まりながら、コミュニケーションをとっています。

 

次女は子どもが2人いるので、東京での仕事の前後にお孫ちゃんと関わることもできて、とても幸せです。

 

特別支援塾で教えて、半分は弟の周囲のことやや実家のメンテナンスや草の処理にのために地元に帰る、という生活をしています。

 

こんな生活をなんとかしたい!みんなを幸せにしたいいという焦りがあって、詐欺に合って、貯金はほとんどありませんが、)

 

60才過ぎて、娘と関わりたいという夢がかないました。

 

可愛いお孫ちゃんと遊んでいると、楽しくて時を忘れます。

 

………そして、絶対にこの子達を幸せにすると、心に誓います。

 

それに、妹の息子は双子で、大学をでて、とっても真面目なのですが、コミュニケーションが苦手なために、就職ができません。

 

やっと勤められたのは、非正規のトイレ掃除でした。

 

もう一人は、(弟もそうですが)危険なやくぶつを使った工場の非正規の工員です。

 

それでも、妹は、やっと就職ができているからと喜びました。

 

しかし、自分自身が、乳ガンとわかったとき、この息子達を残して死ねないと泣いていました。

 

そんな事情と、私自身が勉強したかったので、教員生活の半分の20年間は、特別支援学級の担任になりました。そして、特別支援コーディネーターも行いました。

 

純粋な子ども達とお母様や保護者の方と寄り添う毎日の中で、誤解されて苦しむこの子ども達は、純粋で教えてくれることが一杯あります。

 

保護者の方とも、一緒に考えさせていただくことで、学びがたくさんあります。

 

その流れで、今は特別支援塾で2日ほど働いています。こういう人達の個性が生かせる世の中になりますようにと
思っています。

 

元々は、弟も法政大学をでて、有名な会社に勤めながら、多忙の中でコンピューターのプログラムを組み、精神を病み、今は50才後半で、やっと工場の仕事に勤められるようになりました。

 

父は、亡くなるまで頑張り抜きました。認知症の母と、統合失調症の弟……荒れる二人の間でご飯を作り、ガンの末期になっても頑張り抜いて亡くなりました。

 

地獄絵図のような日々の中で、頑張り抜く父に誓いました。絶対に幸せは足元にあります。

 

自分自身が幸せになって、家族を幸せにして、力まず、人生を楽しんでいることが、そのまま、シャンパンタワーのように周囲に愛のエネルギーが流れるような生き方をします‼と。

 

こんな私ですが、どうかよろしくお願いいたします。

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