プレイングマネージャー。仕事が半端なく疲労困憊。子宝にも恵まれず自殺を考えた

松田さんも自殺したいと思った時期があるということですが、私にもそんな時期がありました。

 

前掲させていただきました「同期入社の男が上司」だった時期です。

 

その前後からなので2年ほど不遇な時期がありました。

 

営業担当で、マネージャー兼任でしたので、いわゆるプレイングマネージャーと呼ばれていた時期です。

 

まったく必要な経費すら認められず、細かい報告連絡相談を求められ、朝礼や会議では必ず全員の前で叱責を受け、若手からはそっぽを向かれていた時期です。

 

担当地域が広く、また家から遠かったので、朝は5時前後に家を出て(営業車通勤でした)帰宅が明け方の2時とか3時の日もありました。

 

得意先の会合に出ても営業車で帰らざるを得ず、大好きなお酒を飲めずにウーロン茶で2次会、3次会と付きわされました。

 

飲んでないのをいいことに自宅までタクシーもさせられていました

 

特段なにも無い普段の帰宅時間も、早くても真夜中でした。とにかく仕事量が半端でなく、休みも返上することが多かったのです。

 

帰ってお風呂に入り、1時間だけ寝てすぐ出社の日々。どうしても疲労困憊な時は会社(支店)の近くのビジネスホテルに自腹で宿泊していました。

 

妻も見るに見かねて私の母親に相談していました。

 

その相談内容が、実は離婚も視野に入れたものだったようで(家でつらく当たっていたようです)、親からもこっぴどく言われる始末。こんな生活では子供も作れません。結局子宝に恵まれませんでした。

 

ふらふらと営業車で早朝、深夜に運転しているときに、「ああ、いまこのスピードで思いっきりハンドルを回せば崖下に落ちて死ねるな。死んだら楽になれるのだろうな。」と毎日のように考えていました。

 

本当に真剣にそう思ってました。

 

お酒を飲んでから大量の睡眠薬を飲む方法とかいろいろ考えました

 

いろんなことが頭の中をよぎり、でも最低限、目の前のことを一つ一つ、こなしていかなければもっと今よりひどくなるんだろうな、みたいなことをずっと、1日中考えながら過ごしていました。

 

そんな状況で家に帰っても家族が楽しいわけがありません。見透かされます。

 

でも不幸中の幸いというか、仕事自体は嫌いではなかったので33年間も続いたのでしょう。

 

時間が解決するとはよく言ったものですが、そんな一番つらい時期を乗り越えた次の部署でも辛かったりよくありました。

 

そんなときよく頭の中でよく歌っていたのが(メロディが浮かんでいたのが、鈴木ひろみつ「たどり着いたらいつもどしゃぶり」でした。

 

そんな会社からもリストラされ(良かったのか悪かったのか)今に至っています。すみません、つらつらと悩みというか「愚痴」になってますね。

 

その当時の嫌な上司もみんなリストラで居なくなりました。

 

今一番の悩みは低所得者になったことです。

 

なんとかささやかで構わないので幸せを掴みたいです。

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