誤嚥性肺炎の父、脳梗塞と心臓弁膜症の手術で胃瘻にできず、鼻から流動食に

こんにちは 

 

生と死について人生で一番つらかったこと

 

それは3年ほど前に他界した、父親が病気になって見送るまでの事です。

 

私の父は柔道家で、昭和30年頃はかなりの実力者だった様です。

 

背丈はそれほど大きくありませんでしたが、若い頃に結核を患い、私が生まれる前は60kgそこそこしか無かったそうです。

 

しかし私の覚えている父は、体重が90kgを越す巨漢でした。

 

何事にも真っ直ぐで、厳しいが愛情あふれるとても優しい父でした。働くことが趣味のような人でしたが、休日に家族と食事に出かけるのが唯一の楽しみで、食べることが大好きな人でした。

 

父が最初に倒れたのは約20年前です。暑い夏の日の朝仕事に出た父は、気分が悪いと自宅に戻りベッドで横になっていました。

 

昼頃私が様子を見に行き声をかけると、父は呂律が回らない状態で、まるで酔っぱらっているかの様でした。

 

すぐに救急車を呼び、掛かり付けの病院で検査をしてもらった結果は脳梗塞でした。

 

発見が早かったのと、すばやい処置のおかげでかなりの軽症で済みました。僅かに左足へ痺れが残った様でしたが、見た目では分からないほどでした。

 

それから10年ほどは何事も無く普通に仕事をして大変元気だったのですが、亡くなる6年ほど前に心臓弁膜症を発症して、8時間に及ぶ大手術を受けました。

 

手術は無事成功したのですが、それ以来少しずつ足腰が弱って来て、10年前に脳梗塞で倒れた時の左足の障害が芽を出して来たのです

 

最初は杖を突いて歩いていましたが、徐々に杖から押し車へと変わり、亡くなる3年ほど前からは車椅子の生活になってしまいました。

 

それでも食べることが唯一の楽しみだった父は(さすがに昔ほどは食べませんが)食事に行く時だけは億劫がらず、何でも美味しそうに食べていました。

 

そんな父の状態に変化が現れたのは亡くなる1年前です。

 

軽い肺炎を何度も起こすようになり、入退院を繰り返すようになりました。

 

最初のうちは症状も軽く1週間程度で退院出来たのですが、肺炎を起こす頻度があまりにも多いので精密検査をしようと言う事になったのです。

 

結果は誤飲性肺炎とのことで、それもかなり飲み込む為の筋力が落ちているらしく、即入院して鼻からチューブを入れての流動食治療が始まりました。

 

本来は胃瘻(栄養補給のため胃に穴を開けて、チューブから栄養剤を流しいれる)の手術をした方が本人の負担も少なくなり、口からの食事の楽しみも指導を受けながら続けることが出来るのですが、脳梗塞を患ったことと心臓弁膜症の手術を受けていたことが手術の障害となってしまいました。

 

血液が固まりにくくする薬を常用していることで、3日も薬を飲まないでいれば命の保障は無いとのことです。

 

父の一番の楽しみだった【食べる】と言う楽しみを取り上げてしまうことは、私は「どうなのだろう、これで良いのか」と思いましたが、母も姉も治療をして、良くなればまた食べられる様になるのだからと、チューブによる流動食治療を決断してしまいました。

 

父はけしてボケや痴呆では有りませんでしたが、これから始まる治療やチューブでの流動食がどんなものか、完全に理解していた訳ではないと思います。

 

鼻からチューブを入れられた父に最初に面会した時、私へ訴える様な助けを求める様な目で、私を見たあの瞳が今でも忘れられません。

 

それから半年以上入退院を繰り返し、病院の良く分からない3ヶ月ルールとかで病院をたらい回しにされました。

 

チューブで流し込まれる栄養剤、と言ってもちゃんと計算されているのでしょうがされど栄養剤です

 

父はやせ細り、亡くなる時の体重はわずか42kgです。そして3箇所目の病院で最後を迎えました。

 

父は本当に我慢強い人だと思います。

 

入院して半年以上の間一度も愚痴をこぼさず、母や姉の励ましの言葉に【ウンウン】と頷くだけで、我がまま一つ言いませんでした。

 

ただ容態が急変する日の晩「もうすぐひな祭りだね、孫たちもじいちゃんが退院してくるのを楽しみにしているよ」と告げると、いつもの様に「ウンウン」と頷いた後「イチゴが食べたいなあ」とつぶやいたのです。

 

我が家では誕生日だけではなく、記念日やひな祭り、子供の日などにもイチゴのケーキでお祝いをしています。きっとその事を思い出したのでしょう。そのつぶやく様に言った言葉が最後の言葉になりました。

 

母も姉も家族みんな「出来るだけの事はしてあげられた、仕方が無い」みんなそう考えていたでしょう。

 

間違いではなかったでしょう。

 

しかし私にはどうしても素直に受け取れず、「本当にこれで良かったのだろうか、父は本当に最後の時を全う出来たのだろうか」疑問というか納得出来ないところが残りました。

 

私は時折妻や子供たちに話しています。

 

もし私に癌が見つかったとしよう。助かる確率が80%以上無ければ手術はしない」

「長く病院へ入院して、病院のベッドの上でだけは死にたくない」

お墓にも入りたくない、狭い墓石の下に閉じ込めないでほしい」

海でも山でも何処でも良いからその辺に撒いてくれ」と。

 

この考えが間違っているかどうか分かりません。残される者にとってはずいぶんと勝手な考え方かも知れません。

 

 

しかし父の最期を看取った時、父の最期の言葉を聞いた時、父は家族にありがとうと言いながらも「腹いっぱい食べたかった」と思っていただろうなと。

 

人は二度死ぬと聞いたことがあります。一度目は肉体が死ぬ時、二度目は忘れ去られる時だと。

 

しかし私は思います。

 

父を火葬した時、父の体は煙や灰となり、そして何らかの物質として何かの生命の中で生まれ変わって行くのだろうと。

 

人は必ず何かの生まれ変わりであり、魂もきっと何かへ生まれ変わっていくのだろうと。

 

お父さん、私は今新しいことにチャレンジしています。

 

考え方も生き方も、きっとお父さんに理解できない事かも知れません。

 

しかし私は自分を信じ、松田さんとの出会いを運命だと信じて前へ進みます。

 

お父さんがきっと引き合わせてくれたのだと信じて

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