オーストラリアの学校で危険人物として学内警察に連行され、無期停学処分に

 ありふれたことですいません。

 

私は日中の仕事のストレス発散のため夜ネットチェスやネットサーフィンをして深夜まで起きていますが、あと3カ月で40なのに、信頼して話せる友人も恋人もおらず、仕事も中途半端で夢だけ大きくて技能も実績もなく、真夜中にふと人生の虚しさを感じ、この世界から消えたくなります。

 

自分が消えて、自分を馬鹿にした人間がどう思うか妄想して、感傷にふけったりもします。

 

しかし、今、現実世界で仕事上とはいえ親切でよくしてくれる人もいるし、母と妹は自分を助けてくれるし、心の奥底には祖父、祖母の尊敬の念とともに一種の「宗教心」(本当はいい人間も悪い人間もいないまやかしの現世であるが、本当は誠実に精一杯生きたい。自分も他人も尊重してよい人生を歩みたいい。)もあり、「自分で命を粗末にするなんてもったいない。」と思ったりします。

 

今まで一番辛かったのは、オーストラリアの学校で無期停学処分になったことです。

 

当時、オーストラリア人のクラスメートから毎日、毎日仲間外れにされいじめられており、悔しくて悔しくて、我慢の限界が来てしまい、自分の信頼していた先生のひとりに「こういう人種差別の国は核爆弾でも落として皆殺しにしてやりたい。」と感情をストレートにして、助けを求めて書いたところ、その教師は私を危険人物として大学に通報しました。

 

翌日、大学内にいたところ、学内警察のような2人に連行され、キャンパスを追い出され、無期停学処分になったと宣告されました。

 

日本で成功すると信じ学費を送ってくれていた祖母のことを思い、また、一通のメールで取り返しのつかない事になってしまったと思い体中の力が抜けました。人生終わった、と思いました。

 

その晩、ふらふらと明け方の街を、何時間も歩いていたのですが、川の近くに見すぼらしい姿の浮浪者の男性がいて「こいつを殺したらどうなるのか。」などと思ってしまいました。

 

そのようなことを思ったのは、人生で後にも先にもこの時だけでした。

 

25歳。なんて醜い自分の本性なのか。

 

また、さらに朝になって人が多くなった時にびっこをひいている身体障害の少年がいましたが、自分に対してやりきれない想いから、傷つける目的で本人に分かるように指を指して笑いました。

 

傷つけたと思います。

 

結局数ヶ月後に学業を終えず帰国するのですが、帰国してからが本当に地獄でした。

 

一度この世のクズに成り下がった自分は死ぬことばかり考えていました。

 

祖母が実家にいたため、自分の話を聞いて頂き、自分は本当は良い人間でいたい、ということを告げて、文字通りもう一度命を授かりました。

 

祖母に助けられました。

 

父にも話ましたが、「お前が全て悪いだけだ。ろくでなしの穀潰し。変わり者。」と言われました。

 

しかし、もぬけの殻となった自分を実家にはおいてくれました。

 

その後ニートから立ち直り、国内で就職してからも、酷いパワハラやいじめのオンパレードで相当人格が歪んだ時もありましたが、今はそういう人間からも離れ、ひとりぼっちですがまた平穏な日々です。

 

改めて、祖母に感謝しています。

 

オーストラリアでいじめられ失敗した時は本当に死が一番近かった瞬間でした。

 

あの時に比べれば、今はまだ何とかやれています。

 

泣き言は言わず、生き抜こうと思います。

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