脳梗塞で二度も倒れた兄。生活保護を受け、パーキンソン病の奥さんを毎日介護

 松田様、はじめまして。

 

私の生い立ちからお話しします。

 

私の両親は、それなりの家柄だったのでプライドは高いけど、お金には全く縁がなくとても貧乏でした。父は若い頃は働き者で、従業員を雇うほど店は繁盛していたと聞いています。

 

母はお嬢様育ちだったので、お金の使い方を知らなかったため浪費をしていたらしいです。

 

結婚間もなくのころ第二次大戦が勃発し、その後従業員は戦争に取られ家業どころではなくなり、母は宮城県の生家に疎開、父は一人東京に残り中島飛行機で働いていたそうです。

 

私は戦後生まれなので、生前の母に聞いた話です。

 

終戦後は物や食料が手に入らず、幼かった兄や姉を育てるのに大変な苦労をしたと母が言っていました。

 

国民全員が苦労した時代ですし、想像を絶する体験をした方々が多数、ましてや兵隊さんや亡くなった人が沢山おられたことを考えれば、家族全員命があっただけでも感謝しなければ罰が当たりそうなくらいです。

 

戦後は、働く意欲が失せた父は家にいることが多くなり、忽ち生活苦に追い込まれたようです。母が着物の仕立てをしたり、内職をしたりしてなんとか生活をしていたみたいです。

 

そんな生活なのにプライドが高い母は、姉をお嬢様学校に入れていたのだから驚きです。その分、兄二人は中卒で就職しましたが、仕事が続かず道を逸れてしまいました。年が離れて生まれた私は皆に可愛がられ育ちました。

 

家が貧乏だと知ったのは、小学3年生の頃です。友達の家に遊びに行くようになってから、自分の家と他の家の違いに気が付いたからです。その頃から、劣等感というものが植え付けられた気がします。

 

友達の持ち物や洋服が気になったり、みんなが習い事をしているのに私は行かせてもらえなかったり。

 

いま思えば、習い事をしていた人の方が少なかったはずなのに、妬む感情があったため、そんな風に感じていたのでしょう。

 

お正月に親戚に貰ったお年玉は、母が「すぐ返すから貸してちょうだい!」と、持って行ったきり返ってきたためしがありませんでした。

 

私が就職してお給料を貯金するようになってからは、母や兄が貸して欲しいと言い出し、貯めても貯めても、その都度貸す羽目になるので、貯金はいつしかしなくなり、手元にあるお金もなるべく早く使うようになりました。

 

結婚してからは専業主婦だったので、自由に使えるお金はないので、母や兄に持っていかれることはなくなりました。家計管理はしっかり出来ていたと思います。なるべく贅沢はしないように節約に努め、毎日家計簿を付けていました。

 

特に不平不満もなく数年を過ごしてから、夫の田舎に帰ることになりました。

 

夫の家は小さな店と農業を営んでおり、両親も年を取ってきたので、跡を継ぐため帰ることにしました。でも私としては、夫は給料取りではなくなるのだから、経済的にやっていけるのか不安でした。

 

夫は、自分の家に帰るわけだから余り心配はしていない様子でしたが、私の予想通り、しばらくするとお金のことで親子の関係がおかしくなりました。

 

義父は「帰って来いとは言っていない!」と言い、夫は「早く帰ってこい!と言ったから帰ってきてやった!」と喧嘩の毎日です。幼い子を抱えて、本当に身の縮む思いの日々でした。

 

夫の両親と生活するようになってから毎日が辛くて、宗教にハマったこともあります。

 

貯金や簡易保険などもありましたが、それらには手をつけずになんとか遣り繰りしてました。

 

両親は夫にお金を渡しませんでしたが、私にはお正月にお年玉をくれました。

 

私は家業と家事、育児を頑張っていましたが、身体が弱く時々寝込むので、義父はそれが気に入らず、わたしのいない所で悪口を言ってました。義母からそのことを聞いたときは本当に悲しかったです。

 

義父はいつも私に「無理するなよ。体を大事にしろよ。」と優しく声を掛けてくれていたからショックが大きいかったです。

 

悪口を言われていることを知ってからは義父のことが大嫌いになり、用事があるとき以外は話さなくなりました。お年玉を貰っても全然嬉しくなくなりました。

 

夫は給料取りじゃなくなり、両親からもお金がもらえず、私たち家族はただ一緒に暮らしているという笑いの消えた生活でした。

 

夫は東京に帰ると言いましたが、私が反対しました。皆に送られ餞別まで貰ったのに恥ずかしくて帰るわけにはいかないと思ったからです。覚悟のうえで夫の両親との同居を決めたわけですから、おめおめと帰るなんて選択肢は私にはありませんでした。

 

四人の子供に恵まれ成長していくにつれ、お金が掛かるようになると、今度は子供たちの不平不満が待っていました。経済的に無理なので長女と次女には専門学校進学を諦めてもらい就職させました。

 

今でも長女の泣いていた顔を思い出すと涙が滲みます。お金があったら学校に行かせてやれたのに…

 

世の中には苦労せずに贅沢三昧の人がいる一方で、お金に苦労しているひとがいるのは不公平だと常々思っていました

 

世の中には今日食べる物もないくらい困っているひとがいる中、私は幸せなほうかもしれません。

 

あれから何十年、子供たちは成人して其々仕事に精をだしています。

 

ケチだった義父は亡くなり、いまは夫と義母と私で暮らしています。

 

夫は年金を受け取る年齢になり、義母は少し足が悪くなりと、先が心配な最近です。店はだいぶ前にやめたので、僅かな貯金と年金だけが支えです。

 

私の兄は数年前に二度も脳梗塞で倒れたものの何とか歩くこともできるので、不自由ながらも普通に生活していますが、奥さんがパーキンソン病で車椅子生活になったため兄が介護をしています。

 

会社を辞めて生活保護を受けながら毎日介護をしています。兄には子供がいないので、頼れる人もいなくて可哀想です。

 

私に経済的な余裕があったら少しは助けられるのにと思うばかりで何もしてあげられないのが歯がゆいです。地理的に離れたところに住んでいるため行ってあげるのも簡単ではないです。

 

何をするにもお金がないと、という考えに縛られていまの私は身動きできない状態です。

 

唯一幸いなことは借金が無いことです。

 

義父は自分の親が残した借金に苦しめられた経験から、借金だけは絶対にしない人だったので、夫にもその考え方が受け継がれ、我が家には一銭の借金もありません。このことだけは有り難いことだと義父に感謝しています。

 

私が年金を受け取れるまであと3年。それまで自分の口座が空になるのではないかと不安です。

 

働こうにも、何のスキルもないお婆さんは何処も雇ってくれません。

 

悔しくて、パソコン教室に通い、WordとExcelを覚えMOSの試験にも合格しましたが、何の役にも立ちません。

 

もっと早く何かしらの手を打っておけばよかったと、後悔しきりです。

 

老後のことはあまり気にもせず生きてきましたが、思っていたより早く年を取ることに驚いています。

 

自分ではまだまだ若いつもりでしたが、世間ではもう年寄の仲間入りをしていたのですね。気持ちから年取ってはいけないと頑張ってきましたが、髪を染めないと白髪は増える一方で、否が応でも自分の年を思い知らされます。

 

人生長いようで短いです。残りの人生を自分の思ったように生きたい。

 

今までしてこなかったボランティア活動もしてみたい。等々いろんな思いがあります。

 

今までは不満や怒りはなるべく表に出さないようにしてました。だせば自分も周りの人たちも不愉快になると思っていたからです。

 

溜め込んでいた色々な思いを吐き出したのは初めてです。夫にも子供にも誰にも話したことがありません。

 

本当は書ききれないくらい沢山の出来事があり、沢山の感情があったはずですが、いまはもういいかな…という気持ちです。

 

話がだいぶ逸れましたが、私の一番の悩みは、「お金」です。

 

毎月一定額の収入があれば、私の悩みは解決すると思います。毎月のスマホ代やサプリメント代にビクビクするのはもう嫌です。

 

これから先の老後の経済を心配しながら生きていくのは嫌です。

 

どうしたらよいのかどうぞ教えてくださいm(__)m

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