松田様、お世話になります。
お題にありますコンプレックス(ルックス)について、自分の体験をお話しさせていただきます。
小さい頃からよく学校で見た目がどうとか、周りと同じ格好や振舞いをしないと馬鹿にされたり、いじめにあったり、陰でクスクス笑われたりしている光景を見たことがあります。
そのような経験が一度でもあると、ずっとコンプレックスを持って生きることになると思います。
何かのきっかけや出会いなど人生で大きな変化がない限り、それはなかなか解消されることはないですし、特に小さい頃は脳が柔軟なため一度そのような傷を負ってしまうと、治っても痕が残っている状態だと思います。
私の学生時代は自分の見た目で他人に何か言われ、傷がついてコンプレックスをずっと持っている、というようなことはなかったのですが、成人して海外に数年住んで自分の見た目について、今まで気にもしなかったことが物凄く気になるようになった時期がありました。
それは私がアジア人で目が細く、典型的な弥生系の邦人のルックスなので、北米や中南米では特に目立つのか、人差し指を両目の端っこに置いて引き延ばして笑ってみたり、つくづく私の目の形について触れてきます。
一度円錐角膜という病気で目の手術をしているのですが、目が細いからですか?と言われたり(全く関係ないのですが)。
目が細いというのが理解できていない感じで、ありのままを受け入れることができないのか良くわかりませんが、日本から出たとたんにあまりにも言われ続けて、次第にコンプレックスに変わりました。
インターネットでアジア人の目について検索してみると、基本的に差別的で良いことは書かれていないのを知り、さらに深いコンプレックスに陥ってしまいました。
人と目を合わせることができなくなり、人が来るとそっぽを向いて気が付いていないふりをしたりしていました。
一時本当に目の整形をしようかと本気で悩んだ時もありました。
目頭切開と二重整形というのがあるみたいで、日本に限らず特にアジアでは芸能人やモデルさんなどがプチ整形といってよくやっているという話を聞きました。
見た目を西洋風にすると日本に限らずアジアでは綺麗とか格好いいとかチヤホヤされて優越感に浸っている人が多いということを知りました。
その後、アジア人の特に女性のコスメについて気になるようになり、調べていくうちにやはり西洋人に少しでも近づけるようなルックスになるように、大きい付けまつげとか、目の周りをファンデーションで黒っぽくして影を作り大きくみせたりしているようですが、これも言ってしまえばコンプレックスの一つだと思いました。
美容とかコスメ業界の方には申し訳ないですが。これはハリウッドの影響だと思うのですが、一種のメディアの力と言いますか、人種が従順するようにと言えばいいのか分かりませんが、そのような仕組みが作られている気がしました。そう考えると整形を本気で考えていた自分が馬鹿バカしくなりました。
目について誰かに言われたときに今までは突発的な反抗意識もあったのですが、今は自分に物凄く満足しています。
現在メキシコに滞在しておりますが、大人にも子供にもたまにクスクス笑われます。Chinoと言って指をさしてきたり。
Chinoというのはスペイン語で中国人という意味です。中国人の方に失礼ですね。無知で残念な方達だなと思います。
私も少し前まではコンプレックスを抱えており、これは周囲の人間と同じでなければ認めてもらえないという間違った概念がどこか奥底にあったのではないかと思います。
世界ではいろんなところでシマウマのようにグループ化させられていて、それが差別やコンプレックスで保たれている気がします。
実は人と違うということが一番素晴らしいことなのだと本当に気が付いた時が、ぐるぐる巻きになっていた鎖から解かれた瞬間だということを感じました。
お読みいただき、ありがとうございました。