学習障害?中学校は半強制的に反復練習させられたおかげで問題が表面化しなかった

自分自身の学校の勉強について当時、他の子供よりもかなり理解力は遅かったのではないかと今考えると思います。

 

学習障害という言葉が当時はなかったので、単に頭が悪いということでバッサリ切り捨てていましたが、それはこういう学校での学習の仕組みからできていたと思います。

 

まず教師が教科書にある一項目を授業で教えます。生徒が板書してそれをノートに書き写します。ある時期が来たら、それを憶えているかどうかテストに出します。教師が伝えたことを正確にテスト用紙に表現できたら点数をもらえます。

 

今はどうかはわかりませんが、当時勉強ができるという子は、このテストでもれなく良い点数を取っていた子という事だと思います。

 

本人が意識しているかどうかはともかく理解力がある子が先頭に出ることは間違いないことはないですが、理解が遅い子には学校以外に塾とかの別の場所を使い、学校の教師以外の別の大人から、理解しやすい言葉や表現を通して勉強をサポートしてもらいます。

 

中学校時代の自分は、自分でも頭がまぁまぁいい生徒だと思っていました。でも今思えば違います。その当時塾に行っていたので、学校以外の教師に手取り足取り問題解説、内容に繰り返し触れていたのです。

 

非常に問題があったのは本人は、その勉強していることが一体何のためなのかを全く無視して進むことです。

 

食べたいと思わない物も、はい次はこれですと向こうから提示されて、したい、したくないという意思とは関係なくとも食べ始めます。そしてその途中、このときはこうして、そのときはああしてとその場の対応を見せられて、疑問もわかないまま真似していきます。

 

この場合たぶん世間の人はこう言うかと思います。世の中、最初は誰もわからないのだし、学ぶことは真似ることから来ているんだよと。ただ、どうしても今思うにしておくべきだったことは、本当に何のためにこれをしているかということを一度も意識に上げなかったことです。

 

いくらか練習はしているので、中学校時代、その当座はいいのですが、後に高校に行き、塾に一切行かなくなってからは、それまで勉強してきたと思っていたことが全然に基盤になっていなかったのでそこで停滞してしまったのです。

 

成績が急落して、ある特定の苦手意識が生まれ、そうなると自己評価が低くなり、何に対してもダメだとか消極的な気持ちになります。

 

でも本当に総括して考えてみれば中学時代の自分も、高校の時点での自分も基本は全然変わらないのです。全ては両方に共通していることは、何も考えずに生きていたということです。

 

ただし中学校は、半強制的に手を引っ張って反復練習させられたおかげで本質的な問題がただ単に表面化しなかったということでした。本当にこのことは僕にとって学歴以前に大きな気づかなった問題でした。

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