親を信じることができず、悩みを打ち明けても心が傷つきさみしさが増していく

私のコンプレックスは人より少しだけ神経が過敏だと思うところです。

 

具体的に言うと、他の人なら見過ごすような他人の言葉や態度に敏感で小さなニュアンスが気になってしまい、それなりに長い時間気にしてしまうのです。

 

例えば、人に褒められたとしても、「~が上手ですね」と言われれば嬉しく思えるのですが、「~は上手ですね」と言われると、「~は」という事は他はけなされているのではないか?などと頭を悩ませてしまうところがあります。

 

また、他人の発する言葉だけではなく、自ら発した言葉で動揺することも少なくありません。自ら発した言葉で誰かに迷惑をかけてないか、誰かを傷つけてしまっていないか?そんな風に考えて眠れなくなる時期もありました。

 

臆病というか、細かいことを気にしすぎる、という事は自分でもわかってはいるのですが、そのことを人に話しても「考えすぎ」「暇なんだね」「誰も気にしてないって」などとあまり理解を得られないことでも悩んだり、人を恨んでしまう事もありました。

 

そういったこともあり、人と話すのは苦手だ、人といるとすごく疲れる、と思い、人を避け、友人関係や恋愛に臆病になった時期もありました。

 

治せない悩みは家族に関することです。小さいころから親子関係がうまくいっておらず、親を信じることができず他人の方がまだ信じられる、と考えております。

 

なぜそうなったかと言うと、私自身の資質や両親の性格、当時の生活状況などによって対話がうまく行かなかったからです。両親ともに余裕がなかったのか、私に対して個人的な対話をすることがなかったように思うのです。

 

例えば、旅行にでかけても私が何をしたいとか、その時どう感じているかなどは全く考慮されず、ただひたすら「~に連れてってやった」「~をしてやった」と未だに繰り返すばかりなのです。

 

その結果、個人的な悩みや相談を両親にすることはほとんどなく、また打ち明けたとしても、そのたびに心が傷つき、さみしさを増していく、という事をくりかえしていました。

 

そのことに関してはもう一生変わらないのだろうな、と感じています。全ての親が子供の味方ではない、と頭でわかっていてもつらいときはつらいし、やはり頼りたいときはありました。

 

そんなどこか満たされない感情を抱えたまま大人になったいまは、自分がつらかった分、人の気持ちはわかってあげたいと思うようになったのは幸いです。

 

人の相談に乗った後、何でも話せる雰囲気ですね、と言われる事は嬉しいのですが、人によっては「きっと両親がしっかりしておられたのですね」などという事があるので、本当に止してくれないか?と憤る事も少なからずあるのが心苦しく思います。

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