いじめは集団で一方的に攻撃、痛めつける行為、行っている人間の魂への冒とく

いじめ体験についてお話します。

 

子供の時から大人になるまで程度の違いはあれ、どこにでもいじめはありました。自分自身はそれほどひどいいじめを受けたことはありませんが、人から聞いた話や実際に見てきたいじめを思い起こすと、ほんとうにくだらないことだな、と思います。

 

高校に通っていた時に、クラスにいた不良っぽい生徒に目をかけて悪口を言われていたことはつらかったです。その当時は自分自身に落ち度があってそれを直せないから、気に入られるようにならなければ、などと考えていたのですが、今思うとそんな自分が一番腹立たしかったりします。

 

場合にもよりますが、いじめというものは大抵いじめる側の未熟さ、わがまま、身勝手によるものだと思います。
いじめた側になぜいじめたのかと問いただした場合、いじめられている側の落ち度と言うより、いじめている人間の不満や、行き場のない怒りの矛先になっていることが多いように感じます。

 

個人的な考えになりますがどんな理由であれ、気に入らないというだけで一方的に誰かが傷つけられるという事自体が間違っていると思います。

 

正当な理由があるのなら不満を相手にわかるよう伝えたり、改善を求めるのなら正々堂々と伝えることが人間として大切なことだと思います。その部分をおざなりにして集団で一方的に攻撃し、痛めつける行為はその行為を行っている人間自身の魂に対する冒とくとも感じます。

 

社会的に重大な犯罪などが起こった場合、重罰を求める声があがりますが、そのような獣にも劣る行為を行ってしまうような考え、人格でいることそのものが恥であり、罰であるのではないか?そんな風に感じます。

 

もちろん再犯を防いだり、更生が可能であれば本人及び、周囲が力を尽くすことには大いに意義があると感じます。社会的に罰のありなしに関わらず、理不尽ないじめの全ては犯罪であると自分は考えています。

 

それと同時にどんな時でも高潔な人格をもち、周囲の人を思いやれる素晴らしい方もたくさんおられることを大人になって感じています。

 

自分はテレビを見なくなってほぼ3年経ちますが、心が悲しくなるニュースばかりではなく、心が温かくなるニュースが増えたらいいのに、と思っています。

 

また、殺人事件などの被害者の個人情報を報道する側が垂れ流しにする行為も、被害者に対する加害行為であるように思います。もし自分が被害者の身内であったらどんなに心がかきむしられるのだろうか、と思わずにはいられません。

 

心に重い浮かぶいじめについてお話させていただきました。

 

あまりうまくまとめられなくて申し訳ありませんが、以上がいじめに関して自分が正直に思うところです。

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