
松田様3回目のメール失礼します。介護福祉士の@@です。
生まれつきのコンプレックスは小さい頃より字が下手なのが1つあります。親には何回も怒られ、頭をたたかれ何度も練習はしましたががいまだに字が汚いままで成長してきました。
現在に仕事でも家族あてに月1回利用者の様子などの手紙を手書きで書かないといけないため月末になると億劫で仕方ありません。上司にも字が汚いと影でいわれています。
もう1つはアトピー性皮膚炎を小さい頃よりありかゆいとどうしてもかいてしまうため不潔と言われ女子から嫌われ避けられてきました。
高校生になってからは地元を離れ大阪の方の高校に行き環境が変わっためアトピーで差別されることがなかったため高校生の時代はいまでも付き合いのある親友が2人出来て楽しい生活を送っていました。
社会人になってからのコンプレックスは社会人になってから周りの社会についていけず、上司からは罵声を浴びせられる、叩かれるなどのパワハラですぐに最初の会社をやめて約6か月ほど鬱病を経験しました。
何をするにもやる気は起きず親からも恥だのつらい時期がそこから約6年ほど続きました。
アルバイトをしながら職を転々としていた日々を過ごしていた時に鬱などや障害者達が通う就労移行支援センターに通うこととなりました。
そこで26歳の時に発達障害かもしれないといわれ兵庫の検査する所に行くと広汎性発達障害と軽い学習障害と診断されました。
確かに言われてみて仕事で短期記憶が中々出来ない、嫌なことは昨日のことのように覚えている、なかなか空気が読めないなど当てはまることが多く存在しました。
そこに約11か月ほど正社員として就職先を探していました。2012年の年末にヘルパー2級の制度がちょうど変わると聞きこれが最後のチャンスと思い好きだった当時持っていた250ccのバイクを降りました。
就労支援の支援員に相談しその講座を受けることに決意をしました。なんとかすべての3か月の過程をクリアをしてヘルパー2級の資格をとりました。
その時には精神障害者3級の認定を受けていたため障害者雇用で働ける所を探して2か月過ぎたときに今の働いている施設で働くことが決まりました。
最初は掃除や洗濯物を洗う所からスタートしこのままでは資格を生かせないと思い介護の仕事をさせてくださいと伝え約1年してからパートから正社員に昇格し特養で約2年と少し働いて、今はクループホームで働いています。
今まで障害者雇用で僕みたいに正社員で働き続けているのは珍しいらしいです。