いじめは差別から。悪い行いは意識をしなければ他人事。自分の視界に入ってこない

松田様こんにちは。 

 

私は幸か不幸かいじめにあったことがありませんでした。 また、私の近くでいじめをしているところを見聞きしたことがありませんでした。 なのでこの機会までいじめについてあまり考えたことがありませんでした。 

 

「なぜ人はいじめをするのか?」 

先に申し上げた通りいじめにあまり縁がなかった私はインターネットでこのワード検索しました。 

 

その回答で「人は差別する生き物である」 この言葉がいちばん私の中で腹に落ちました。 確かにこの言葉で私の中で忘れていた過去のものが色々と蘇ってきました。 

 

差別のきっかけは些細なことです。 まずは話し方が変だ。顔にアザがある。算数ができないなど。 

 

それが大人になるともっとえげつなくなります。 肌や目の色が違う、身体に障害がある、重度な感染症にかかっているなど。 

 

子供だろうが大人だろうがいじめについての討論をしたことは無いはずです。 それは自分でいじめは良くない事だと知っています。 だれに聞いてもいじめは良くない事だと知っています。 

 

だから討論にはなりません。リベートで反対側の立場に誰も立つことが出来ないからです。 でも、人間は弱いです。 いじめはなくなりません。 すぐそこで差別が始まります。 

 

話しが戻りますが、ではなぜいじめはなくならないのでしょうか。 

 

それは誰もがダメないじめをしている自分を認めていないからです。 常に人が人を攻撃することは他人事なのです。 自分の可愛さのあまり、そこでいじめがあれば無視をするか、一緒に加担します。 

 

また集団の中で自分が一番下層だとは考えたくない。自分より弱い人を見つけたいと思っています。 

 

先に言ったように知らないもの、変なものは怖いと思っています。 それは「誰かが」差別をするのではなく、「自分も」差別をするということを意味しています。 

 

結局、いじめのような悪い行いは意識をしなければ他人事です。自分の視界に入ってきていないのです。 

 

よくテレビで「人権差別反対!」と叫んでいる人がいます。 なぜかこの言葉が心に響きません。 

 

当然です。彼らはこの言葉に自分はいじめや差別をしていないと思い込んだ人たちが叫ぶからなんです。 差別やいじめについて考える際には、「自分も今まさに差別しているかもしれない」という視点を入れる必要があるのです。

 

 絶え間なく「自分は今差別をしていないか?」自問自答することが差別を無くすことにつながると思うのです。 

 

以上、いじめや人権問題について私の意見でした。

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