霊はエネルギーの塊!?死者は残したいメッセージを伝えたいからその場に居続ける

霊は私には見えませんが、言うなれば死者が残したいメッセージがあるのから、亡くなってもずっとその場に居続け、伝えようとしているエネルギーの塊のような状態だと私は考えます

 

恨み、妬み、苦しみ、そういったことを生者に伝えようとして留まっている・・・それが強く表れた時に、それを感じれる能力のある人間はそれを感じて目視できるんだと思っています。

 

ですが、死者は死んでしまってもそこに留まっている限り輪廻転生はできないでしょう・・。輪廻転生とは心が解放され、体が衰えてしまった時にさらに生きようとする念からまた別の体にその心の器を求めて起こることではないかと私は考えます。

 

いつの時代も前世がどうとかいわれることがありますが、輪廻転生とは起こるべき時がきたから起こることでその為、その意思が強ければ強い程、以前の自分の体に宿っていた心が表面化され、記憶として現れるのではないでしょうか?

 

生まれ変わりともいいますが、人も何もかも寿命というのはあります。物も朽ちていくことが寿命です。

 

全ての生き物は生まれかわりで成り立っているかもしれません。ですが誰かの生まれかわりなんて記憶があるのはごくごく一部の人間だけでしょう。

 

思いの強さ、念の強さというか、その思いが強いからこそ、後世でも伝えたいという気持ちから前世の記憶・・・なんてのも表面化されるんでしょうね。

 

私にはそういった経験は全くありませんが、前世がどうとかということに興味自体ありません。

 

前世は前世、今は今・・・だと思います。

 

今伝えること、世の中の人々の為にできることそれが大事なのかな・・・とも思います。

 

カルマとは何となくですが、人の「業」に近いものだと思います。昔にそういった仏教ではないですが、見た記憶があり、それを少し思い出しながらですので合っているかはわかりませんが・・・。

 

いずれ、その業は良いにせよ悪いにせよ自分に返っている事だと思います。良い業、例えば人役に立つようなことだといずれそれも自分に返ってくるような・・そんなニュアンスだったと思います。詳しくは知りませんが・・。

 

業は、良いことも悪いことも業、つまりは「行為」「行い」といったことに繋がるのではないでしょうか?

 

それは良いことをすればそれだけ自分にも幸せが返ってくる。悪いことをすればそれだけのことが返ってくる・・「因果応報」とも言うべきことかなと感じます。

 

ですが、人間誰もが正々堂々「自分は悪いことは一つもしたことがない」とは言えないでしょう。

 

私も自分では気が付いていないだけで悪いことをやっていたかもしれない・・。ひょっとしたら今のこの絶望的はな状況もそういったことに対する報復だったかもしれないとも考えてしまいます。

 

よく言いますが悪いこと時のツケは自分の人生で最も辛い時に起こるともいいますね・・。

 

ですが、私はこう考えます・・・。全ては自分が幸福になる為に・・・と・・。

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