中学2年生で転校、学校が辛くて家出。不登校の子が集まる別室登校をすることに

中学2年生の頃、夏休みの終わり頃です。

 

当時、両親は自営業を営んでいたのですが、経営が上手くいっていませんでした。お母さんはいつ誰からでも電話が取れるように携帯電話を首にぶら下げていました。

 

お父さんは夜勤をはじめ、朝から晩までほぼ1日中働いている状態になり、無理が祟って腱鞘炎を患ってしまいました。

 

両親の仕事が上手く行かないとき、私自身もその時期の学校生活が最悪でした。

 

クラスで孤立してる存在で、いつもひとりぼっち。学年が上がって新しいクラスになる度、今度こそ友達作ってみようと思うのですが、昔の私を知っているみんなに、なんか気持ち悪いって思われるのが怖くて、心を開くことができませんでした。

 

遊ぶと言えばお姉ちゃんとお姉ちゃんの友達とだけでした。

 

頭の中ではどこかに引っ越して新しい環境に移り変わりたい、そんなことを考えて過ごしていました。夏休みの宿題は8月20日を過ぎてもまったくの手つかず。

 

もしかしたら心のどこかでこれから起こる出来事を察していたのかもしれません。

 

その年の夏休みの日、東京ディズニーシーに連れて行ってもらえたのを覚えています。お母さんが当時のことについて、この先もうこんな風に遊べなくなるかもしれないと思ったから無理して連れて行ったと語っていました。

 

楽しかった思い出の裏にそんな意味があったなんて、話を聞いたとき感謝の気持ちで胸がいっぱいになりました。

 

夏休み終盤、車で弁護士事務所に行ったのを覚えています。シートを倒した車の後ろでお姉ちゃんとこれからどうなるんだろうと話していました。

 

そして長いこと待った末に、突如として引っ越しが決まりました。自己破産することになったのです。悲しい出来事なのに、私はというともうあの学校に行かなくて良い、願いが叶ったと少しだけ喜んでいました。

 

でも、新しい学校に転校できても結局馴染めませんでした。

 

中学2年生の2学期に入ってからの転校。多感な時期の子達で、すでに人間関係が出来上がっている場所に放り込まれる精神的ストレス。

 

生徒会役員の子に、8人くらいのグループに誘ってもらえたのですが、居心地悪すぎでした。

 

女の子って、なんでも一緒に行動したがりますよね。仲良くしてもらえるように愛想笑いして、本当はどうでもいい話に相打ちをする毎日。

 

お昼ご飯も仲良しグループで机をくっつけて食べるし、トイレまでぞろぞろと一緒に行くし、窮屈で仕方ありません。

 

お姉ちゃんもクラスに馴染めなかったらしく、休憩時間になると廊下に出て、グループの子達よりお姉ちゃんと話すことのが多くなりました。

 

しまい目には、学校も行きたくなくなって、学校に行った振りをしてアパートの階段をそろっと音を立てずに上がってしゃがんで隠れて、両親が家を出たら、家に戻ってというズル休みをするようになりました。

 

さすがに先生から、2人が学校に来ていないとお母さんに電話が入り、ズル休みがバレてこっぴどく叱られました。お母さん仕事あったのに帰って来たんやで、思いっきり自転車漕いで、坂道を下りたとき段差でこけたんやでって。

 

迷惑かけてしまって本当に申し訳なかったです、だけど、どうしても学校には行きたくありませんでした。

 

私はとんでもない行動にでます。夜中みんなが寝てる間に家出をすることにしました。今考えたら、なんでまた迷惑かけることするのって感じですが、もうそうするしかないくらい追い込まれていました。

 

夜中、自分の寝床をクッションやタオルを使って布団を被る眠っている人の形を作り、リュックに携帯とピーナッツバターを挟んだクラッカーが何枚か入ってるお菓子を詰めて、お姉ちゃんに行ってくるって一言伝え、電気がつかないように静かに玄関のドアを開けて、そろっと家を出ました。

 

家出といっても行き先はありません。自転車でまっすぐまっすぐひたすら走りました。何分走ったかわからないくらい走って、河川敷に自転車を止めて芝生に座り込みました。厚着をしてきたけれど、寒さが身に沁みました。

 

お山座りで体を丸めるように目をつむっても、足先がすごく冷たくって、朝になるまで寝ようと思っても寒くて痛くて寝れませんでした。

 

朝日が昇りだした頃、お父さんから電話がかかって来ました。どこにおるんや?お母さんも心配してるから帰ってきい。優しい声に涙が出て、電話の後素直に家に帰りました。

 

急いでたので自転車がスリップして、リュックの中身を道路にぶちまけしまい、女の人に大丈夫?って声かけられたのを覚えています。

 

帰って来たら、お母さんも怒っていませんでした。多分お姉ちゃんがどれだけ学校に通うことが辛いか話してくれたんだと思います。

 

その日、校長先生と担任の先生に話した結果、私達は別室登校することになりました。別室はそれぞれの学年にいる不登校になってしまった子が集まるところで、そこには別室担当の先生もいました。

 

はじめて会った別室の先生は雰囲気も含めてとても優しい先生でした。別室の生徒は、3人いて、1人は同じ学年で目が前髪で隠れている変わった雰囲気の子、あとの2人は先輩で友達同士で入ったらしく明るくてなんでも教えてくれる方達でした。

 

先輩達が別室通いになったのは、1人の先輩が恋愛関係でクラスの女の子と揉めたらしく学校に来れなくなってしまい、友達だったもう1人の先輩が心配して付いて行く形で別室通いになったそうです。

 

なかなか複雑な理由でした。こんな理由で別室通いもあるんだと思いました。

 

別室での授業の仕方は、学年が違うので、個人個人のクラスの時間割に沿った科目のプリントを配り、わからないことがあったら先生に聞きに行くというスタイルでした

 

優しい先生もいて、明るい先輩達もいて、お姉ちゃんと一緒、短い間だったけれどすごく居心地が良くて楽しかったのを覚えています。

 

たまに別室の扉や窓を、男子生徒の軍団がバタバタと手で叩いてきたり、下校途中に同じクラスにいた派手目な女の子達に名前を叫ばれたりしたこともありましたが、多少気分が悪くなっても、周りにいる人達のおかげで全然学校に行くことが苦じゃなくなりました。

 

でも、やっぱり成績は落ちる一方だったし、緩い環境に慣れてしまったし、親にお金をかけさせたくなかったので、高校は通信制のところに決めました。

 

まともな人生を歩んでいきたかった気持ちはあるけれど、別室で登校していた頃は今でも良い思い出です。

松田さんへ、このお話を書けたことにとても感謝しています。

コメントは受け付けていません。