事故で死ぬときはアドレナリンが出て痛みはない?高速道路で自動車に追突された

「死ぬ瞬間についての考察」

 

私は生まれながらに自律神経が弱い。数年前に駅の近くを歩いていると、「血液が足りていません。献血にご協力をお願いします。」という呼び込みが聞こえてきた。

 

当時、友人と私は、これかの予定も無いため人助けの意味も込めて、初めて献血をすることにした。しかし、採血検査の時点でいつもより心理状態がおかしいことを感じた。

 

後に引けず400mlの献血が始まり、案の定、献血が終わった時点で顔は青ざめ気分が悪くなって、倒れこむ始末となった。結果、終了してからプラス1時間以上ぐったりとしていた。

 

また、血を見るだけ、抜かれるだけで気分が悪くなる自分は、一部の映画も見ることはできない。それは、戦争(実話に基づくような戦闘系)に関する映画である。

 

子供の頃、「男たちの大和」という映画を見たことがあるが、その戦闘中の悲惨な描写が脳裏から離れず、気分が悪くなり、夜も寝れない日があったほどだ。それから、大人になった今も戦争系映画は(或いは、手術のような描写がある医療系映画も)絶対に見ないようにしている。

 

こんな精神的に弱い自分も死に近い瞬間を体験したことがある。

 

私が二十歳の頃、父親を遠出をしており、その帰り道に高速道路で後方にきたやや大型の自動車に追突されたことがある。

 

ほんの一瞬だった。もの凄い大きな衝撃とともに、車の後方は大破した。何を考えているかも分からないような感じだった。体が震えていたのだけは覚えている。

 

8人乗りのワンボックスカーに父親と私の2人だけだったため、後方座席に人が乗っていなかったのが不幸中の幸いで、次の日から2~3週間だけ首と肩に湿布を張る生活をする程度だった。

 

ちなみに原因は追突してきた運転手のよそ見であった。

 

この体験で少しわかったことは、事故で死ぬときは何も考える時間も無く、終わるのだろうと思った。痛さ、苦しさも、ほんの一瞬なのかもしれない。

 

その事故の瞬間はアドレナリンが出ていたのか、何も痛みはなかった。首と肩の痛みは数時間後にきた。痛さよりも恐怖心が勝った、中々体験することの無い経験をした。

 

年を取って老いた時、必然と病院に行く頻度は多くなるだろう。その時、自分は果たして、自分自信を上手にコントロールできるのか、精神的におかしくならないか不安である。

 

ただ、人は誰でも少しずつ、この瞬間に死に近づいている。人が思う不安の最果てにあるのが、死である。

 

例えば、私も含めて「お金がなくなることが不安」という人がいるが、「お金がなくなることで生きていけない=死ぬことが本当の恐怖である」と私が思っている。

 

病気に関してはいまいち分からないが、少なくとも事故など一瞬の瞬間で死ぬ時は、痛みを感じないで死ぬと思う。

 

人間にとって一番の恐怖は、死ぬ瞬間ではなく、死に近づいている中での中途半端に生かされている時間であると思う。

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