マイナスイメージの言葉を使わない教育。自分の意見や主体性、個性もない人間に

はじめまして、私は今年21になります。

 

諸々のアクシデントがたび重なったことや、新たに挑戦しようと思うことがあり、今年大学受験をし来年度から大学生になるためにアルバイトで学費や生活費などを貯めながら勉強をする日々を過ごしています。

 

世の中、人生に関する不満や怒りに関すること全般の相談ということなので、まずは不満や怒りについて私の思うことを書き、続いて私の思う世の中、人生を考えていきたいと思います。

 

不満や怒りは自分自身を後ろに引っ張るようなマイナスな力を秘めていると教えられてきました。

 

小さい頃からマイナスイメージを生む言葉を使わないよう教育され自分でも心がけてきたつもりです。最近それがどういうことがわかってきました。

 

今でもマイナスイメージを生む言葉を使わないこと(嫌い→好きじゃない等)は悪いことではないと思います。しかし普通の感覚が身についてから覚えればいいことだったと今は考えています。

 

そしてこの問題点はこの例で言えば「好き」と「嫌い」の境界をなくしており、つまり「満足」と「不満」の境界をなくしていました。

 

今まで嫌いな食べ物も嫌いな人も存在しなかったし、学力や運動能力に不満を感じたこともありませんでした。

 

逆に好きな食べ物や好きな人もおらず、学力や運動能力に満足したこともありません。怒りについても同様で、全て納得し飲み込むけれどそれ以上の何かは生まれませんし、納得しきるまでは先に進めません。

 

自分の意見はなく、ただ客観的にみることしかできません。そんな主体性も突出した個性もない人間です。

 

今まで甘やかされて育てられてきた私は何不自由なくのうのうと生きてきて、アルバイトの必要もありませんでした。それは、自分が甘えた分親や兄弟など自分の周りが負担していてくれたということに気づきました。

 

というより、今まで気づいていてそれでも未成年だからと甘え、甘えるのも子供の役目と言われて鵜呑みにしていました。しかしなんとか自分の力で生きていこうと思った時、その難しさを肌で感じました。

 

それはカネを得るというだけではなく、その過程が自分にとって負担かどうかが重要であると思いました。(その仕事が好きなことか。精神的、肉体的負担はどうか。など)

 

居酒屋は言葉遣いや言動が粗暴で非衛生的な方々が多く自分とは合いませんでした。フレンチレストランでバイトして関わった方々は自分に良い影響しか及ぼさないと思える方々でした。

 

どちらか選べるのであればお互いに良い影響を及ぼしあえる相手や環境を選ぶ必要があると学びました。

 

世の中には色々な人がいますし、自分もその一人です。そんな世の中を変えたいとは思わないし変えられるとも思いません。自分が変えられるのはせいぜい自分の人生だけだと思います。

 

世の中、人生に関する不満や怒りはありませんが、世の中、人生に関する不安は募るばかりです。

 

このような長文を書く機会はそうないですし、見当外れで恥ずかしい文章であったかもしれません。申し訳ありません。

 

正直この文章は先月このページにたどり着いた時に書いたものをメモ帳に残していたものであり、ほとんど記憶がありませんし、何言ってるかわからないし恥ずかしいです。

 

しかしこれはこれとしていい文章を書けない自分を認めこれからのステップを経て上達していければなと思います。

 

乱文駄文失礼しました。

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