離人症・スキゾイドと診断。毒親で幼稚園児から母親に虐待され不登園児でした

 いわゆる毒親でした。幼稚園児から母親からの虐待、不登園児です。

 

18年間にわたり、毎日のモラハラ、家族全員分の家事労働負担などの精神的な虐待被害、母親のサンドバッグにされ続けました。重度の鬱病、過呼吸、PTSDをひきおこし、社会的なルールや基礎知識をほぼ与えられず、毒親の思惑どおりに、家出をしてしまいました。

 

高卒、無資格、無職でしたが氷河期1999年、有効求人倍率は0.6%の中でのまともな職につくことができず、フリーターのまま、40歳を過ぎてしまい未婚、無職、精神疾患、路頭に迷っています。

 

けして怠けていたつもりはなく、PCもろくに普及していなかったこととそもそもまともな情報源にたどり着けませんでした。生まれた瞬間から運がなさすぎました。

 

ポケットベルの時代、同級生に連絡も取れず、本当に苦しかっただけの人生です。ありえないほどの侮辱と屈辱的な世の中に戸惑い続けていましたが、そもそも抜け出すにはどうすればいいのかがわかっていなかったのです。

 

大卒でないと就職の道がないことを知ったのが既に30歳でした。発狂しながら人に相談しましたが、自己責任論や嘲笑、努力が足りないなど弱者叩きにあい、二次被害・三次被害の究極な負のスパイラルにさらされて死にたい以外の感情がありません。

 

完全に孤立してしまい、人間関係もゼロです。自分自身、究極の人間不信です。一人で生きていける自信もなく、
生きながらええても生活不安と老後の恐怖しかなく何の罰ゲームだかもはや意味がわかりません。

 

それでもまだどこかで冗談のような、他人ごとの自分がいて、もう麻痺していたのでしょうね。後に精神科では離人症・スキゾイドなどと診断されました。

 

やはりどこかしらたにんごとで、もうどうでもいいやとすら感じるときもあります。それでも生きるしかないのですね。リタイアしたくても安楽死のシステムがないのですから。

 

宗教にハマりたくはないのですが、今、精神世界には深く興味が湧いております。

 

未だ人を助けるなんて崇高な気持ちは湧いておりませんが、もしもこれほどの苦痛を乗り越えることができた先には、どんな世界が待っているのだろうかと、別次元から自分の人生を俯瞰してみたい気もするのです。

 

ガツガツ物欲と遊ぶ金がほしいのではなく、不安なく暮らしたいだけなのにこれほどかなわないなんて、想像すらできませんでした。

 

毒親は公務員なのです。生活保障が自分の最大の武器であり、生活不安につけ込むことが最大の武器であることを
知っていたのです。

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