リーマンショックで工場ラインの派遣社員を解雇され、社宅を追いだされました。

私は現在夜中働いても時給750円などの最低賃金でこき使われるようなことに陥っています。やっと食うだけの生活をすることになってしまっています。

 

なぜ、こんなことになってしまっているかを説明します。まず、2008年のリーマンショックのあった年の2月末に再婚同士の妻と私が暮らしていく道として、田舎に二人の仕事をみつけて引っ越すことを選びました。

 

その勤め先は大きな工場でした、3月途中くらいから働きだしました。

 

妻は製品の検査の仕事、私はその工場の一部のラインの抜き取り検査をして品質管理などをする仕事の管理者つまり役職もあって指導する立場でした。

 

ただ、私たちが選んだのは派遣社員だったということです。

 

二人の手取りは月40万円以上で普通に生活は出来ました、まさか6か月後にあんなことになるとは思っていませんでした。

 

その年の9月にリーマンショックによる、派遣社員は殆ど首になるという出来事に巻き込まれ、社宅に住んでいたことで住む家まで無くなりました。

 

私もまだ40代でしたから、何とかしてと言う思いで働いてアパートを借り電化製品など買い揃えました。

 

このような流れの中妻の心は壊れかかっていました。

 

私だけは外に出て働いて、一人にされた妻の心はストレスでいっぱいになっていったのだと思います。

 

知らない街に一人でいるように感じたのかもしれません、誰とも話さなくなってしまったのかもしれません。

 

鬱状態であったり、そう状態であったり鬱状態の時なのか私が仕事から帰る時間にストレスがあるのか自殺未遂を繰り返して私を困らせるのが目的になってしまったような行動が出てきました。

 

本当に危ない時もあり救急車のお世話にもなりました。

 

そして私に暴力を振るうことなどあり、私は止めるだけでしたが飽き足らず110番に電話して『暴力を振るわれた』と言って警察を呼んでお世話をかけることにもなりました、引っかかれて血だらけの私の姿を見ればどっちが暴力を使ったかは誰でも見たらわかります。

 

そんな状態の妻をほったらかしにはできないので、病院や警察でも時間を取られ仕事もできないようなことになっていきました。

 

それでも2年前くらいまで月給としてもらえるパートをしていましたが、命より大事なものはないので守るためには毎日長い時間の外出は控えざる得なくなり、まともな仕事にもつけませんというよりも田舎には本当に仕事がないのです。

 

そして、日銭を稼ぐような仕事しかなくなります、税金も払わなくて済むような闇で働いているようなものです。

 

ここまで来たのは全て私が招きこんでしまったものだと解かっています。そして今年6月に私はお金もなく酒もたばこも辞めました。

 

そしてゲームもテレビも辞めました。惹かれるようにインターネットの勉強をしてインターネットの世界をさまよい、松田豊さんにユーチューブ動画でたどり着きました。

 

どん底の「この年では死ぬしかないか」という思いがあったのかもしれません。

 

希望をまだ求めるものが残っていたのでしょうか、全ては引き寄せの法則、宇宙の法則だと今信じることが出来て私の安定剤になっています。

 

そしてPCに向かっていることが安定剤です。ただどうしても消えない不安、妻の状態がいつまでもつか、私の体と頭がいつまでもつか?

 

「もう間に合わないかもしれない」という不安です。

 

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