プロフィール

2005年に独りで起業、独りネットビジネスにこだわり15年ほど。『独りネットビジネス』にこだわり約15年。在庫なし、初期費用なし、維持費なし、安定志向、独りでできていつでも辞められるビジネスを専門にやっています。

いじめ・人間関係のなやみ

最初は胃癌で、手術は成功も、数年後に大腸癌を発症。高齢のため再手術は無理

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母親は存命です。父親は、サラリーマンでとてもまじめな人でした。体付きは背は高くなく、がっしりして頑丈、性格は頑固で、私たち家族には心の底を表しませんでした。父親にはほんとに良く殴られました。また、母親も殴っていたので、私は幼少のころから怖くてしょうがなく、寄り付きませんでしたし、成長しても、あまり話や会話はありませんでした。

 

父親はもともと糖尿の家系で腎臓が強くありませんでしたが、そのうえ、仕事が不規則だったせいか健康を害し、60歳の定年を迎えると同時にガンを発症しました。

 

最初は胃癌で、手術は成功も、数年後に大腸癌を発症。これも手術しましたが、その後再発し、高齢のため手術はもう無理で、入院と退院を繰り返しつつ、なんとか80歳までは生きましたが見る影もなくやせ細って亡くなりました。子供のころからの仕打ちもありましたので、亡くなったときには涙はでませんでした。

それでも、なくなって3年ほどたつ最近では、入院時に車いすに付き添ったことなどを思い出して、しみじみとした心境になります。

 

父親の普段の生活は質素なものでした。仕事以外で家をでることはほとんどなく、出かけるときは仕事に行くときと同じ白いシャツとくろっぼいズボンの一点張りでした。色のついたシャツとか着ているのは記憶にありません。家では仕事の疲れからか、常に横になっていました。楽しみといえば、毎晩の晩酌、そして、お金を節約してお金がたまるのを楽しみにしていたようです。質素という点では、お坊さんのようでした。

ほとんどどこへも連れて行ってもらえず、数年に一度、伊豆の温泉など近場に旅行に行く程度でした。子供のころは、なにも面白いことをしてくれない、そんな父親が嫌いでした。

 

今大人になって思うのは、父親は自分は絶対に贅沢しないで、われわれ家族(子供は3人です)を無事に成人させてくれたのです。せまいながらも母親が住む家を残してくれました。父親に対する感謝が、亡くなって3年たった最近やっと、心に沸いています。亡くなるときに病院から電話があり、駆け付けましたが、すでに息はないようでした。

 

もう少し早くせめて意識があるうちに顔をみておけばよかったと今では思います。これから、だんだんと感謝の感情が大きくなってくるのでしょうね。父親もそれがわかっていて、亡くなってから感謝されることを自分の信条として生きていたのかもしれません。とすれば、深遠な人だったのかもしれません。孝行したいときに親はなし、とはよく言ったものです。

今の私には、とても父親のまねはできませんが、精神の修行をしろといわれている気がしています。母親は体が強い家系のようで、80歳を過ぎた今でも元気で、毎日のように出歩いています。ただ、父親がなくなってからは、やはり気弱になっているようです。

 

もともと近所との折り合いがよくなく。毎日のように出歩くのも、近所づきあいとか嫌だし、家の中に一日いるのが嫌になってしまうことが理由としてあるようです。まあ今のところ大きな病気もせず元気でいてくれるので、ひとまずは安心ですが、いつ病気になるかわかりませんし、介護状態になることも想定できるわけです。そうなったら、仕事との両立は無理かもしれません。

 

会社をいつまで続けられるか。親がいつ病気にならないか。収入が途絶えたらどうするのかなど、将来の心配をしてもしかたありませんが、それでも私の心配はつきません。

 

そのために、今何ができるのでしょうか。できることはやってゆきたい。過去の栄光やトラウマ、今までのことは忘れて、無から出発しなければなりません。精神の修行と学びを積み重ね、前へ進んでゆかねばなりません。

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