輪廻転生はない?ある?不思議な体験をした私。その実例とは・・。

自分の分かる範囲内でのコメントで、人に教えるなどの能力など一切ございません。

 

人は輪廻転生など考えようとしたとき、懐疑的に考えてしまった場合はそこでその理論は成り立たないと思います。 まずは率直に素直なこころで考えることだと思います。

 

見えない物、数字やデータにならない物を信じない人は多いのではないかと思います。しかし世の中には説明のつかないことも多くある事も事実。

 

そう考えると霊的なもの、霊性はもともと人間に備わっているものではないかと考えることもできます。懐疑的あるいは何かに囚われがあると、理論のない否定をする以外にはありません。

 

囚われのない率直なこころで物事の、真実を見ようとするこころがあれば何かしら見えて来る所もあると思います。過去世は過去世として、現世をどう生きるか、一日一日自分自身どんな種まきをして生きるか、悪い種をまけば悪い花が咲き、良い種をまけば良い花が咲く。そこに誤魔化しはききません。

 

それが自身の業となって未来世に移行していく自然の原理なのかもしれません。私は5歳の時、田舎で約4メートル四方、深さ2.5メートルの泥水に誰も居ない所で頭からそこに落ちてしまいました。普通はそこで終わりだと思います。そこで不思議な体験がありました。

 

その感覚は今でもはっきり覚えていますが、恐怖を感じる前に、真っ逆さまから両手を引っ張りあげられました。そして真っ黒になりながら地面に這い上がりました。わたしはすでに亡くなっているお母さんが助けてくれたんだと幼いながらも強烈に感じました。

 

青くなったのは周りの人で誰があげてくれたんだ、大人の背丈より深いのにと。。。

 

わたしは純粋な霊的な意識こそ、正真正銘の嘘偽りのないこころと通じるものと考えます。 誤魔化しのきかない行いは自分自身行なう種まき、良い種まきなのか悪い種まきしたなのか、その行ない行動、行為が業、つまりカルマというのではないかと思います。

 

結果と直結する行為なので自分を誤魔化すこともできません。宗教的なことはよく分かりませんが仏教からの考えがあてはまっているところが多くあると思います。

 

普通に考えれば生き方に直結した教えと理解し、あとはその行為行動だが、こうしたらこうなるからこうするでは、どうしても下心が自分自身で見え隠れするように思えてくる。

 

大切な事は見返りを求めない潔い行為、行動なのかもしれません。

 

清く生きていれば少なくとも自分自身は納得のいく最後に満足できる生き方、スピリチュアルはそのヒントがたくさん詰まったもの、それをまた松田さんがメンターとして教えてくださると言う風に純粋に思いました。 ありがとうございます。

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