人格障害の父親と継母、姉2人から精神的肉体的虐待を受け自殺しようと思った

自分が輪廻転生について興味を持ち始めたのは、確か小5の頃でした。小5ではありますが、苦しい事だらけの11年間、我慢我慢我慢我慢で耐え抜いて来た11年間でした。

 

人格障害の父親と継母、その2人に虐められた姉2人。当初は自分を庇ってくれていた姉達も、過酷な環境のせいで次第におかしくなっていったのでしょう。溜まりに溜まったストレスのはけ口は、家族で一番弱い立場の自分へといつの間にか向いていました。

 

この4人から精神的肉体的虐待を受け続けていた自分が自殺しようと思ったことは、一度や二度ではありませんでした。それでも自殺せずに生きてこれたのは、実母が家を出る時に言った言葉があったからでした。

「○◯(自分の名前です)、お母ちゃんはお父ちゃんと一緒に暮らせなくなったから、この家を出ていくよ。でもね、◯○がお姉ちゃん達の言う事を聞いて良い子にしてれば、必ずまた家族5人で暮らせるようになるからね。約束だよ。」この言葉があったから、自分はワガママも言わずにどんな事でも我慢してきました。

 

「自分さえ我慢すれば、自分さえ我慢すれば、皆が幸せに暮らせるようになるんだ!」と信じて疑わなかったのです。自分達の学校が夏休みに入ると、実母は父に内緒でこっそり会いに来ていました。

 

地元の小さなデパートへ行き、僕達が入った事が無いようなレストラン(いわゆる普通のショッピングセンターの中のレストランです)で食事をし、姉達はここぞとばかりに洋服や小物を買ってもらって近況報告をする、そんな1日を過ごすのです。

 

姉達はその何日も前から、「今度はあれを食べてみよう。」とか「あれを買ってもらおう。」とか楽しそうに算段していました。
当然自分も食べたい物や、買って欲しいおもちゃはありました。

 

でも事前に姉達から「お前は何も出来ない役立たずなんだから、高くて美味しい物を食べる権利ないんだよ!お母ちゃんは苦労して働いて、やっとの思いで会いに来てくれてるんだから、そんな高いおもちゃ買ってもらったら可哀想でしょ!!」としっかり釘をさされてましたので、レストランではいつも同じ一番安いメニューを頼み、「欲しいものは?」と聞かれても「何もない」とだけ答えていました。

 

「本当はコレが欲しいんだよー!!」と喉まで出ているのに言えない苦しさと、自分の現状と氣持ちを分かってもらえない苦しさでおかしくなりそうでした。その場で一緒にいる事に耐えられず、ゲームセンターのデモ画面を眺めて時間を潰していました。

 

それに帰り際には決まって皆で泣いているし、帰宅すると父に嘘のアリバイを言わなければならないので、正直言って自分は楽しくなかったというのが本音でしたね。それでも母親に会いたい気持ちはありましたし、「言う事を聞かなきゃいけない。」という使命感のようなものもあったので従っていました。

 

ところがそんな年に一度のイベントも、ついに参加しなくなります。自分が小5の時でした。いつものように母親と待ち合わせ場所に行くと、自分にそっくりな5歳位の男の子がいました。聞くと母親は再婚したとの事で、再婚相手との間に産まれたのがその男の子だと説明されました。

 

その出来事が、11年間生きてきて初の絶望だったと思います。どんなに苦しくても辛くても、悲しくて孤独で気が狂いそうになっても我慢してきたのに、再婚して子どもが出来たという事は、僕達と一緒の5人家族で暮らすことは不可能、出来なくなってしまったのだと知りました。

 

一度でいいから、本当のお母さんに甘えてみたかったなぁ。悲しい時、辛い時、友達みたいに「お母さ~ん!」って泣きながら胸に飛び込んでみたかったけれど、自分には一生出来ないのだと確信しました。

 

でもその時、それとは違う悲しさが胸にある事に気が付きました。それは、弟が5歳という事は5年前には既に産まれていた訳で、再婚相手とは、きっとその前からお付き合いしていたと、子どもにも予測は出来ました。「何で言ってくれなかったんだろう。」という悲しさと寂しさが身体を駆け巡り、その後の事はよく覚えていません。

 

母にしてみれば、難しい話を理解できないであろう子どもへ気を配ったのでしょうが、自分にしてみれば「本当の事を話してもらえなかった事」のショックの方が大きかったのです。

 

その翌年から、自分は母親が来ても会いに行かなくなりました。それは決して拗ねていた訳ではなく、再婚相手の方や弟の邪魔になるような気がしたので、自分は新しい家庭を持った母親に接してはいけないと思ったんですね。

 

自分達に会いに来るために生活を切り詰めている話しを聞かされていましたから、自分のためにお金を使わせては申し訳ない、そのお金で弟におもちゃを買ってあげて下さいと何度か電話で話した記憶があります。

 

説明が長くなりましたが、この出来事を経験して「自分は何で産まれてきたんだろう?」と疑問を持つようになりました。

 

家の中に自分の居場所など無く、いつも家族の顔色を伺いビクビクしながら生きる毎日。愛された記憶も経験もなく、ただ虐められ嫌われてストレスのはけ口になっている存在。「ごめんなさい」も「ありがとう」も家庭内では聞いた事がないので言えず、「おはようございます」は他人に対してだけ言うものだと思いこんでいた11年間。

 

昔話や童話を信じて、正直に我慢していれば幸せになれると思っていたのに待っていたのは絶望。

 

「こんな事を経験する為に僕は産まれてきたの? 何で友達はあんなに優しそうな両親や家族に囲まれているのに、僕だけがこんな目にあうんだろう?」

 

そんな事を日々思っていたら、RASが発動したのでしょうか(笑)輪廻転生について書いてある本を、偶然手にして読んだのです。

 

人は死んだらあの世へ行き、そしてまたこの世に生まれ変わってくる。それが輪廻転生。

では何故生まれ変わって来るのか。それは業(カルマ)の解消の為。

カルマとは転生を繰り返す魂に染み付いた罪のようなもので、この世で良い行いをすれば浄化されてカルマは解消される。

なので転生前に深い罪を犯した魂は、カルマの解消も大変である、といった内容だったと思います。

 

当時は単純に「そうか!僕はきっと転生前にとても悪い事をしていたから、だからこんなに苦しい人生なんだ。」と思ってましたね。ですが死にたいという気持ちは簡単には消えませんでした。そんなある日、今度は般若心経をマンガで解説してある本を手にします。

 

父がやたらと神仏を崇める人で、毎朝般若心経を唱えていたので何となく読んでみました。とは言え小5の頭脳には、到底全てを理解出来ませんでした。

 

ただ印象に残っている部分が「色即是空」についてでした。般若心経の解は人それぞれ違いますし、コレが正解!というのも無くて良いと個人的には思います。それを踏まえた上で、その本に書いてあった解説はこうです。

 

この世に存在するあらゆる物質、目に見える物を「色(しき)」と言う。それとは逆に目に見えないものを「空(くう)」と言う。

空と書くけれど、決して空っぽという意味ではない。目に見えない力。

分かりやすい例を挙げると磁石と磁石を引き寄せ合う「磁力」であったり、人と人とを引き寄せ合う「縁」のような、「目には見えないけれど確実にそこに存在している力の事」を空と言う。

 

そして「色即是空」とは「色、即(すなわ)ち是(これ)空なり」という意味である。(空即是色も同)

 

そこで小5の頭は「???」になりました(笑)目に見えるものが目に見えないものと同じ??さらに読み進めると、

 

例えば、あなたの身体を顕微鏡で細かく見たとしよう。
身体には臓器があるね。
その臓器の中で、どれでもいいけれど例として肝臓にしよう。
肝臓を細かくすると、組織で出来ているね。
組織を細かくすると、細胞で出来ているね。
細胞を細かくすると、核があるね。
核を細かくすると、それは原子で出来ているね。
原子を細かくすると、+と-の電子がグルグル回っているね。
その電子を細かくしていくと、物質はそこになくエネルギーが動いているだけだね。

つまりエネルギー=目に見えない力=空だね。
元々は肝臓=目に見える物質=色だったのに、空になった。
だから色と空は同じなんだよ。
この世の全ての物質は、目に見えているけど無いのと同じ。

と言った解説だったと思います。

 

それを読んで当時は、「僕の人生こんなに苦しい事ばかりだと思ってたけれど、あって無いようなものなんだ。それならもう少し頑張ってみようかな。」という結論に達しました。恐るべし!小5脳ですね(笑)

 

同時にその時「自分は幸せな家庭の子どもに産まれて来れなかったけれど、自分で幸せな家庭を作ることは出来る!」という思いに気付き、それを目標に生きてみよう!と思いました。

 

霊に関しては、見て怖い思いをしたり調べたりしましたが、ある方のブログや本に出逢ってからは全く怖くなくなりました。

 

自分が人生二度目の絶望に合いドン底にいる中で「こんな自分でも生きてていいんだ。」と毎日涙をボロボロ流しながら、その方のブログを最初から最後まで読んでいました。

 

その方は魂カウンセラーをされている方で、我々が見えない存在(お亡くなりになった方)が視える方なんですね。

 

なので「亡くなったお爺ちゃんが寂しがっていないだろうか?」と質問する遺族を霊視して「寂しくないけど、あの盆栽の手入れだけは忘れないでくれよ。」と言ったりして、当事者同士しか知り得ないような事を具体的にアドバイスしてくれるのです。

 

その作業はとても疲れるそうなのですが、少しでも皆さんのお役に立ちたいと頑張られていました。(現在は新規の個人相談は受け付けてないそうです)

 

しかもその相談料や執筆した本の印税は寄付をして、ご自身は毎朝掃除のパートに出かけていらっしゃるという素晴らしい方なのです。なのに自分を神格化するような事は絶対に言わず、むしろ自虐する方が多い面白い方です。

 

その方からすると、地縛霊とか浮遊霊とかは、生きている人間が勝手に決め付けた概念です。
生きてる我々だって、大事な思い出の場所とか強烈に記憶に残っている場所とかありますよね?
そこにその人の強い記憶が残っているだけです、怖がる必要等ないのですと説明されていました。

 

私達が見ず知らずの人にいきなり付いていったり、知らない人の家に勝手に上がり込んだりしないのと同じで、霊的な存在も、縁もゆかりもない人間に何かをすり事は有り得ないので心配する必要はないそうです。

 

そういう存在を見る時は「見る」ではなく「視る」という漢字で表記されますし、実際に肉眼で視るのではなく、脳裏に映る映像を視るのだそうです。
さらには見えない存在からのメッセージも、実際に音として耳で聞くのとは違うのだそうです。

 

これは自分にも経験があるので分かリます。自分の表現で書くと、「脳に伝わる」感じです。誰かが話す声が聞こえたりするのではなく文章が見えるのでもなく、「相手が伝えたい内容が自分の脳に入って来る」という感じと言えば分かりやすいでしょうかね?

 

ですので、やたら霊が見える!とか、神様の話し声が聞こえた!とか言ってる人は精神科を受診することをオススメされていました。さらには生まれ変わりについても説明されていましたので、例をあげて書いていきますね。

 

Aさんという方がいたとして、お亡くなりになったらAさんの魂はAさんの身体を離れてあの世に行きます。
しばらくはあの世でAさんとして存在しているのですが、ある程度の時間が経つと全てと一つになります。

 

それは「魂の源泉」という表現を使われていました。

 

つまり、Aがさん、Bさん、Cさんが亡くなったとして、ある程度の期間はそれぞれ単独の魂として存在していますが、それを経過すると全員魂の源泉に戻り、一つになるのだそうです。そして源泉の中で様々な魂(記憶)と混ざり合い、色んな要素を持った魂として、また生まれて来るのだそうです。

 

その時は、それまで覚えていた過去生の記憶は全て消されるのだそうです。もちろん、人(魂)によっては、生前やり残した心残りな事があるために、ある特定の人物の記憶だけが色濃く残っている方も稀にいるそうです。

 

そして、産まれる家庭、両親、自分の名前、今生でやり遂げるテーマを自分で決めて産まれてくるのだそうです。よく「人生に越えられない壁はない!」とか言いますけど、自分で決めてるんだから当たり前と言えば当たり前ですよね(笑)。

 

まとめますと、輪廻転生=Aさんが死んだらまたAさんとして生まれて来る訳ではなく、Aさんの記憶とBさんの記憶とCさんの記憶、それ以外の世界中の人々や過去の人の全ての記憶を混ぜ合わせた要素を持って生まれてくるのだそうです。

 

つまり、これを書いている私も、読んでいるあなたにも同じ要素があると言えます。そこにはお釈迦様だった記憶もあればイエス・キリストだった記憶もあるでしょうし、殺人者だった記憶もあれば平和な農民だった記憶も入っています。

 

なので「我こそが、我のみが神だ!」等と言っている宗教家はおかしいのです。私も神様。あなたも神様。みんな神様なんです。皆が神様の分け御霊を持って産まれてきているのだから、みんな立場は同じであると、斎藤一人さんも同じように話されていましたね。

 

その後、量子脳理論を知るのですが、魂カウンセラーの方が言われていた事が量子物理学を使って説明がつくことが嬉しかったですね。
量子脳理論についても賛否両論ですが、自分が知っている事では「量子もつれ」と「粒子と波動の二重性」が死後の世界と密接に関わっていると思います。

 

量子をご存じない方の為に一応ざっくり書きますが、簡単に言うと物質やエネルギーの最小単位と思って大丈夫です。(自分も学者ではないのでそんなに詳しくないです)

 

そしてこの量子という物質は「粒子と波動の二重性」という変わった性質を持っています。ある時は粒子(粒)として存在し、ある時は波動(エネルギー)として存在するのです。

アインシュタインが言った、
「全ての物質はエネルギーである」
E = mc2 
エネルギー E = 質量 m × 光速度 c の2乗

にも通じますし、
色即是空にも通じますね。

 

そして粒と波動が切り替わるのはどんな時か?と調べた結果、「観測された時」だと解明されたそうです。つまり観測する(意識をそこに向ける)と波動が粒になり、観測されてない(意識を向けられてない)と波動(目に見えないエネルギー)として存在しているのだそうです。常にそこにあるのに・・・面白いですよね。

 

そして「量子もつれ」についてですが、量子を2つに分けて量子Aと量子Bとします。
するとこの量子Aと量子Bは、「距離や空間の影響を全く受けずに、同じようにふるまう」という現象を見せるのだそうです。

 

例えば、2つの箱を用意し、それぞれの中に量子Aと量子Bを入れておきます。

現時点では、それぞれの箱の中には量子Aと量子Bが重ね合わさった状態で入っています。

この2つの箱のうちの一つを自分の目の前の置き、もう一つの箱を一億光年離れた宇宙空間に置いたとします。

そして、目の前の箱を開けて中身を見る(観測する)と量子Aが入っていたとすると、その瞬間に一億光年先の箱の中身は量子Bだと確定するのだそうです。

これを「量子もつれ効果にによる遠隔作用」というそうです。

 

 

一億光年と言えば、現時点でこの世で最速の「光」のスピードであっても一億年かかる程の、気が遠くなる距離です。そんなとてつもない距離も時間も関係なく、お互いに影響し合うのが量子の不思議な性質ですね。現時点でこれを説明出来る説は無く、物理学者でさえ「ゴッドエナジー(神の力)」だとか「サムシンググレート(偉大なる何か)」と、スピリチュアル用語でしか説明が出来ないそうです。

 

 

話が脱線しすぎましたので戻しますが、人間には「顕在意識」と「潜在意識」の他に「原意識」があると、自分は考えています。(集合的無意識の事は今は省きます)その原意識とは、即ち魂(神の分け御霊)であると思います。

 

そして宇宙誕生(ビッグバン)の以前から既に、宇宙には原意識があったと仮定します。宇宙も物質(量子)ですから、意識がなければ存在しませんので。その宇宙の原意識こそが、私達の言う「神」だと思います。

 

例えばAがさんが亡くなりAさんの原意識(魂)が肉体から抜けると、神の原意識に観測され一つになります。もしこの時、Aさんが息を吹き返して意識が戻る(観測される)と、神の原意識からAさんの肉体へ一瞬で戻ります。これがいわゆる臨死体験ですね。

 

つまり、分け御霊≒魂≒意識≒記憶とも言えると思います。

 

 

例えば誰かが霊を見たとしても、そこには霊と言われた方の生前の強い「記憶」が色濃く残っているだけであり、たまたまその量子情報を観測した人がいるから可視化されただけであるとも言えますよね。

 

つまり、意識を向ければ観測されるけれど、意識を向けていないから観測されていないだけですよね。ただ観測されていないだけで、目の前の何もないような空間にも沢山の量子(波動)が存在していると考えるのが自然ですよね。

 

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