輪廻転生や生まれ変わりは仏教、ヒンドュー教の考え方。幸福に生きるために宗教がある。

よくスピリチュアルスポットとパワースポットを混同されがちですが、パワースポットは自分自身がエネルギーを感じる場所のことで、スピリチュアルスポットは祈りや感謝、自分の行いを悔い改め、反省する場所だと聞いたことがあります。

 

この考え方自体は仏教やキリスト教にもあることですが、スピリチュアルという言葉自体はキリスト教からのようです。輪廻転生や生まれ変わりという考え方は仏教、あるいはヒンドュー教の考え方で、キリスト教の新生や復活という概念と異なります。

 

以上が言葉の由来になりますが、日本は比較的無宗教が多いにも関わらず、スピリチュアルや輪廻転生という考え方、その行いには古くから密接に生活に活用、信じられてきた経緯があります。

 

それは何故か?それは人は誰しも自身が正しく、幸せに人生を全うすることを望んでいるからであり、それが人それぞれに異なるため、現状に不安や迷いに陥った時、間違った生き方とはどういうもので、どういう行いをした時なのか、どうすれば今の迷いや不安を取り除けるのかを宗教的な教えから日々学び、幸せに生きようとしている行為と言えるのではないでしょうか?

 

幸せな人生を求めない人はいないはずですが、この幸せという概念が個人により多岐にわたるため、ある者は世間一般的な結婚、出産、子育て、老後は夫婦で包まじく過ごす事が出来さえすればと望む者もいれば、自分の存在を後世に残すことが一番の幸福の望みであったり、不幸な人々を助ける行いが一番の幸福の望みであったり、真実を探求することに人生を賭けることが幸せであったり、ただのんびり時を過ごす事が一番の幸せであったり、時間の空き時間もないぐらい誰かと会っておしゃべりをして、喜怒哀楽を一緒に楽しむことが一番の幸福であったり、色々なことをやって色々な人生を歩むことが幸福であったりします。

 

一つの物差しで測れないので、助け舟として無宗教者であっても、宗教的考えや行いに強い関心を示し、幸福への探求で得た物が自分が求めている物なのかを見定めている最中なのだと思います。

 

そして、長い年月の末に見つけれたものは他人がどう見ようと幸せであり、見つけられないものは他人が羨む人生を送っていると評価しても不幸だということです。

 

結論、これは自分自身しか分からないことであり、自分自身もそれが何なのか分からないので、様々な事をやった結果、時に人生を棒に振るような行いをしてしまったり、一生の遺恨を残こす結果になってしまうこともあり、そのような間違いをしないため、正しく幸福に生きるために宗教があるのです。

 

参考になれば幸いです。

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