妬みや嫉妬、恨み、憎悪、物質欲、名誉欲、、人間が持つどうしようもないものがカルマ。

霊的な現象については、父親の曾祖母がイタコであったという話を小さなころから聞かされていましたので自分の中にもそうした血が流れていると思っていました。

 

したがって、スピリチュアルな話についても特段の抵抗感もなく、お話を聞くのも好きですし、その手の記事があればサイト内でもたまに読んでいます。

 

また、生まれ変わりについても否定する立場にはありません。人は魂を成長するために生まれ、幸せを追求するために人生を送るものだと信じています。しかし、前世での行いや、今世での行いによってその罪を補わなくてはなりません。それがカルマと理解しています。

 

故立川談志さんがカルマを業という文字に置きかえていました。人間が持つどうしようもないもの、逃れようとしても引き剥がすことが出きないもの。それが業であると解いていました。

 

妬みや嫉妬、恨み、憎悪、物質欲、名誉欲、およそ人が嫌悪する感情は誰もが持ち合わせていて、ちょっとしたきっかけでそれが表に出てきてしまうものだと思います。

 

霊魂、いわゆる幽霊については何とも言えません。怨念とか強い情念が磁場の力によって次元をゆがませることによりひとの形となって現れ、恨みを持つ相手に見せる。こう言われればなんとなくありえそうな気もしますし、それらは単なる錯覚である。こういう人がいたら具体的に「ある」ことの証明ができませんので、私自身がいたら面白いなと思っている程度です。

 

さて、輪廻転生について私の理解は成長を続ける魂が、自らが修行したい場所を求めて場所と親を選び人として生まれ、そこでの修行が満足のいくものでなかったら同じような境遇にまた生まれ変わる。

 

もしも課題を克服できたのなら、次の課題を求め、新たな修行の場所に生まれてくる。このように考えております。しかも、時間という概念がそこには存在しませんので、必要であれば戦国時代の戦場を経験したり、いまよりも未来の世界に生まれ、そこで魂を磨いていくと考えています。

 

しかし、人は前世の記憶を残さずに生まれてくるため、(だからこそ修行なのでしょうが)自分が何のために生まれてくるのか。どのような使命を持っているのかがわからなくなってしまいます。

 

そのために迷いが生じ、苦痛の末堪え切れなくなって死を選ぶ人もいます。そうなると修業は完遂できなかったとしてまた同じ所へ帰っていき、同じ苦しみを経験することになります。

 

こうした修行が終わり、魂のレベルが上がると生まれ変わりは終了し、次のステージへと上がって、そこでまた閥の形で魂を磨くことになります。

 

現在の私は、霊的なことについてこのように考えています。

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