慢性腎炎、高血圧、心不全、心筋炎、胆石、膵臓ポリープ、腰椎すべり症、突発性網膜剥離、甲状腺機能低下症、心筋梗塞の59歳

おはようございます。今朝は、私の生まれつきのコンプレックス、治せない不幸な悩みについて、お話しします。

 

まず、生まれつき…沢山コンプレックスの種はあるのでしょうが、自覚がありませんでした。きっとどんな赤ちゃんも同じのはずです。産まれたときから持っていたら…転生?ですかね。

 

私の場合、有難い両親と兄姉の御陰です。4番目、末っ子ということで、親が達観していたからだと思います。さほど特別な期待を持たれていなかったのでしょう。私のお箸の持ち方が間違っていると、兄が気づいてくれたのは9歳の頃でした。「皆(兄姉たち)に教えたことなかったから…まさか出来ないとは思っていなかった…」との事でした。

 

兄姉とも歳が離れていて、実際には一人っ子のように育ちました。甘やかされたのでしょうと、よく言われますが反対です。妹だとは認識されていますが、同居していない彼らにとって近所の子と変わりません。兄姉だけではなく、母もそういう距離感でした。特に、私の娘だから…といった、感じを受けたことはありませんでした。

 

そうやって、やや野放図に育ったせいか空想の世界にどっぷりと浸かっていました。何時間でもじっと待つということが、苦ではありませんでした。そんな私には、人とと比べてどうこう思うことがありませんでした。人の目も全く気になりませんでした。

私の母は同級生のお母さん位の年齢ですから、クラスメイトに「あの人おばあちゃん?」と聞かれることも何度かありました。母に言ったことが一度だけありました。母は気にしたようで、私が母のことで恥ずかしくないかと、その後聞いてくることがありました。全く感じない事を心配する母を、不思議に思ったことを思い出します。

 

父が亡くなり母子家庭となって、仕事を始めた母が私の世話に手が回らなくなりました。当然です。只、父の好みで腰の位置よりも長くしていた髪を、直ぐに切られた時だけは涙がこぼれました。自分の好みがどうこうで泣いたのではありません、ああ…これで父とは本当に会えないのだと実感したからです。父が私の髪を撫でてくれることも無くなったと。

 

声を揚げて泣くことも、抵抗することもない子供でした。普通、子供は親のする事、例えそれが理不尽であっても抵抗したりしないと思います。小学3年生になっても服装など全く気にならず、洗濯だけは誰に言われるでもなく、自分でするようになっていました。

 

手洗いです、今思うと奇麗になっていなかったのかもしれません。担任の先生が母子家庭であると気付かれ、ご自分の子供さんの洋服を沢山下さいました。今思うと母は複雑な面持ちでしたが、私はラッキー!と心から思っていました。

 

洗濯の回数が随分減らせたからです。母は生活保護の受給を勧められたようですがそういう時代だったのです、母は断固拒否し、私に言い含めたことがありました。それでも、担任の計らいで文具を数ヵ月に一度支給されるようになりました。これにも私はラッキー!と感謝していました。

 

こうやって思い出すと、やはり母は少し悲しそうでした。「お母さん、これは政府からもらっていて、当然受け取って良いものなんだって…」と、担任からの請売りをそのまま伝えたこともありました。

 

クラスで「ええ~なんでお前だけ~」と同級生に言われたときも「お父さんがいない子にはもらえるんだよ…」と、答えていたと思います。「恥」という感覚がなかったのか?

 

かと言って、自分が担任のお気に入りだと思ったことは一度もなく、どちらかというと苦手な先生でした。お気に入りになりたいと思ったこともなく、その先生が教育委員会に転職されたと聞いた時、「ああ~そういう感じの人だ…」と、はっきり思いました。善い先生だったのですが、物を貰うということに、私なりの気概を保っていたせいかなと今は思います。

 

思春期!私も普通に自意識過剰なお歳頃を経験しました。でも、中学3年生から、ぶくぶく太りだしたのです。身長も止まりました。157㎝で70㎏は、乙女にとっては恥ずかしい…が、現在はもっと恥ずかしい状況ですが。高校に上がって、剣道部に入りました。ダイエットどころか一日6食でした。

 

朝食、お昼までの間食、お昼、部活前の間食、部活後の間食、夕食。学食が大好きな子でした。これでコンプレックスだったとは、高が知れていました。友人とショッピングセンターのバイトに通いました。友人は可愛いエプロンのユニフォームでレストランに採用されたのですが、私はフードコート。ユニフォームのサイズがおばちゃん仕様しか合わなかったからです。

 

友人に可哀想な…という表情で見られたことは、恥ずかしかったのですが、私に合った売り場だったのでしょう。店内で売るよりも街頭販売での売り上げが良く、惜しまれて退職したほどです。

 

自分でも吃驚でした。そんなに元気印の女の子ではありませんでしたし、大きな声が出せるとも知りませんでした。剣道でも練習が好きで、型は美しいと自負していましたが、対戦では恥ずかしくて気迫負けしていました。声が張れなかったのです。なのに…今でも焼とうもろこしが飛ぶように売れたのを思い出します。

 

それなりに、男性を意識し始め、恰好を付けるようになったのは高校卒業間近だったでしょうか、体重もやや改善とは言え、常に太め安定のキャラクターが固まっていました。

 

コンプレックス…体育会系の兄が同居し始めました。小学4~5年生位だったか、根性がない、覇気がない、やる気がない、何をさせても中途半端で終わる…という、刷り込み発言が始まりました。私を見ていて歯痒かったのでしょう。「中学生になるまでお前を人間とは見做さない…」と断言され、殆ど言葉は交わせませんでした。

 

大きくなり、看護師になってから自分の身体について気付きました。腎臓がそれ程健康ではなかったのです。だから、子供の頃から横になりたがり、足を揚げていると気持ち良かったのです。眠るのが好きなのも身体が要求していたのです。睡眠もだらだらと長く必要でしたし、すぐ疲れました。静かな子ではなく、はしゃげなかったのでした。

 

扁桃腺炎を直ぐ起こし高熱を出す。その時はまだ良かったのですが、ウイルスの下降感染から慢性腎炎に移行していました。気を付けなさいと、専門医には言われましたが、見た目は太め安定のキャラクターですから、自然とどの仕事をしていても無理をしていたのです。夜勤が一番堪えました、どんどん浮腫むのです。

 

日中の仕事についても通勤の満員電車が堪えました。同情や労りはなく、そうやって生きてきました。腎臓の病気をしたことのある人に会うと、共感を得て癒されました。

 

慢性腎炎から高血圧、高血圧に心不全そして心筋炎、胆のうポリープから石灰化して胆石、膵臓ポリープから糖尿病、先天性股関節変形から腰椎すべり症、突発性網膜剥離、甲状腺機能低下症、心血管梗塞3か所で心筋梗塞、…現在、59歳です。こんな状態も不思議ではないかと受容しています。

 

一人暮らしですから、出来るだけ信頼できる人間関係を築くことを心がけています。んんん…本当は軽い?読字障害があるようです。気付かされたのは二年前。アルファベットが混乱しやすく、簡単な単語のスペルが覚えられません。

加齢により、はっきりしたのかもしれません。日常会話は高が知れたものですから、何とかやり過ごしています。中学で英語授業が始まった年代なのですが、理解できるのにテストが酷い結果でした。それが足を引っ張りますが、何とか公立高校に行けました。

 

高校でも英語が足を引っ張り続けるのですが、何とか卒業できました。看護学校でも英語は理解しているのに、簡単なテストの結果は酷いものでした。社会人になっても、車などに書かれた簡単なスペルが読めないことを何度も経験しました。英会話教室にも、かなりお金を使った人生です。それでもも、読み書きが全く上達しなかったのです。二年前に担当の教師に指摘されました。振り返ると、確かにアルファベットの読字障害でした。

 

今でも、体調の良い時には英会話教室に通っています。先生が理解して下さっていて、特別生ということです。外国人ですから人気者です。自分の活動に必要な文章は、しっかりした方にお願いして書いてもらいます。読解は同じく読んでもらって、説明を受けるようにしています。

簡単なものは辞書検索、毎日のwhatsappメッセージに書き込む時も辞書が手放せません。短い単語も覚えられないのです。これは記憶力のせいか読字障害のせいか不明ですが、自分の年齢とここでは外国人であるということに甘んじて暮らす毎日です。

 

若いころ病院で受けた心理テストの結果どおり、私は、非常にコンプレックスが少ない人間なのです。

 

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