アトピー性皮膚炎が治った!高知の病院に入院し遠赤外線と微量のステロイド剤で治療した

幼少の頃より、30代後半まで、アトピー性皮膚炎で悩まされていました。1~2才の頃、母親がオムツを換えている時に、私のお尻がカサカサしているのに気付いたそうです。その時は、オムツかぶれだと思って、メンソレータムを塗っただけだったそうですが、次第にそのかぶれは広がっていき赤い湿疹へと変化していきました。

 

当時はまだアトピーはそんなに知られていなくて、アレルギーと混同されていました。母親は自分の母乳が合わないのではないか、離乳食の中に悪いものが入っているのではないか、住んでいる環境が悪いのではないかとストレスを深めていったそうです。

 

当時は高度経済成長期なので街中はスモッグだらけで、食べ物も人工調味料などたくさん使われており、それらが原因だと考えて、食事制限や服装などを注意していました。それでも湿疹は治らず、激しい痒みが襲ってきて掻きむしってしまい、血だらけで、体液が溢れるほどになってきました。

 

主な発疹部位は、臀部、腕や足の関節、手や足の指…などです。関節などの柔らかい部分出るため、夏場は半そでや半ズボンにはなかなかなれません。手足の指先や関節はパックリと割れてしまっています。血がにじんでいるので、バンドエイドをして守っているのですが、まるでロボットの関節のような異様な手になってしまうのです。

 

特にひどかったのは、臀部です。学校の授業で椅子に座っていると、臀部が圧迫されて刺激されます。さらに蒸れて汗をかきます。そうすると、痒くて痒くて仕方がないのです。立ち上がって掻くと、先生に注意されて友達に笑われるので、お尻をゆっくりと動かしながら椅子の角に押し付けて、痒みに耐えるのです。

 

水泳の授業では、塩素の入ったプールでは湿疹が沁みてしまいとてもつらいので、何とか理由をつけて欠席していました。そのため、今でも泳ぐのは得意ではありません。学校に行っている昼間は痒くても、友達が見ているのでなんとか我慢しているのですが、夜に就寝する時が問題なのです。眠っている時は無意識的に、体中を掻きむしってしまうのです。パジャマもはだけて掻きむしり、下着や布団は血と体液だらけになってしまいました。

 

中学生になると湿疹は慢性的になっており、柔らかいジクジクしたものではなく、皮膚の奥に芯がある硬いイボのようなカサブタ状になっていきました。これまでに色んな医者、色んな塗り薬を試しましたが、効果はありませんでした。ある医者は、薬では治らないので外科手術で皮膚移植をしたらどうかと勧めてきました。もちろん、断りました。

 

服装の隠れた部分にある湿疹は、他者に秘密にしているコンプレックスの原因になっていきました。弱みを隠したまま、他者と付き合うという、欺瞞を持ち続けたのです。高校からは鼻炎も併発して、授業も集中して聞くことが出来なくなりました。机に突っ伏して片方の鼻を通すと、次は逆の鼻が詰まるので、顔の向きを変えます。こんなことをしていると自分のことばかり考えるようになり、生き生きとした友達関係を作ることに障害になりました。

 

医者の多くは子供の病気だから大人になったら抵抗力がついて治ると言っていたのですが、社会人になった20代になっても治りませんでした。この頃から、アレルギーとアトピーの違いが一般にも知られるようになり、私はアトピー性皮膚炎だと診断されました。しかし、現代病だということで原因はより深刻でした。しかし、医学は進歩するものです。

 

30代後半に都会から隔離された空間で入院して治す病院を知りました。そこは、高知県の港町のT市にあるのですが、アトピー性皮膚炎の原因である活性酸素を低減させるために、遠赤外線と微量のステロイド剤で治療を行います。そこは全国から他の医者では治らなかった人たちが集まる駆け込み寺のような病院でした。

 

アトピーのため、昼間の会社勤めが出来ない人、白内障が併発した人、結婚が破談になった人、子どもにも影響が出ている人…など、私の湿疹など病気に入らないほどの重症患者が集まっていました。幸い私は2週間ほどの入院で嘘のように完治しました。

 

アトピー性皮膚炎のため、10~20代は特に女性や友人に対して心をさらけ出さずに、コンプレックスを抱きながら付き合うという、負い目を持った関係しか作れず、勉強や趣味などで自分をガードしていたと思います。

 

しかし、高知県の病院で出会った重症患者たちは、私の悩みのレベルを乗り越えて、救いの手を求めてきている人ばかりでした。アトピー性皮膚炎を言い訳にしていた自分に気づかされた2週間でした。

 

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