亀頭性包皮炎症という生殖器の病気が5年経っても治らず、女性との性交渉もできません

わたしが生まれつきでいちばん苦労をしたのは、対人赤面症です。これが原因で引っ込み思案になってしまい、友人関係も、異性関係も、これまでなにひとつうまくいかずに生きてきました。50歳にもなろうというのに、友達ひとりいません。

 

20代の頃に、それまでの友達たちすべてと疎遠になってしまい、以来ずっとひとりで孤独に生きてきました。結婚もできませんでした。対人赤面症だけに限らず、神経症、いわゆるうつ病も患っていて、高校生の頃は、「ウツ」と級友にあだ名をつけられました

 

「なんで、おまえって、いつもしゃべらないんだよ」「おまえいると暗くなるんだよ」とよくいわれました。勉強もできませんでした。家庭が荒廃していたからです。両親も中学もまもとに出ていないような家庭だったからで、わたしも勉強をするという習慣がありませんでした。スポーツについても悔しい思い出があります。

 

わたしはずっと虚弱で、背も低く、学年でいちばん背が低かったのです。中学に入学したときに、担任の先生から、「強くなれ」といわれて、バスケットボール部に自ら入部しました。苛酷なトレーニングに耐え、まだ皆が来ていないときに一番乗りして、朝の練習にも参加しました。あまりに練習がキツイために、多くの者たちがやめていくのですが、わたしはやめませんでした。

 

やめたら、自分は終わりだ、努力だけが自分の取り柄だ、とそれが最後の砦だと思っていたからです。でも、信じられないことが起こりました。いつも部活をサボっている同じ級友がいたのですが、バスケットボール部の顧問は彼に部活に出るように家まで足を運んで、手取り足取り指導をしていましたが、わたしは彼は自分から苛酷な練習に耐えかねてこなくなったのだから、やめさせるべきだと思っていましたが、その後、顧問はわたしのほうへやってきて、「おまえは邪魔だからやめろ」とわたしにいいました。

 

「おまえがいても、うちの部はなんの利益にもならない、県大会で優勝するためにバスケットボール部をやっているんだ、おまえは運動はやめたほうがいいんじゃないか?」わたしは練習に来ても参加させてもらえず、ここに立っていろ、といわれて、皆が練習しているのを見て、体育館の隅に立たされていました。

 

一年耐えました。もういいだろう、と思いました。やめます、といいました。先生はとても嬉しそうでした。殺してやろうと思いました。家族を皆殺しにしてやろうと思いました。家に帰ったら、父親に「おまえはやっぱり根性がないんだな」といわれました。悔しくて悔しくて、今後スポーツ番組の一切は観ないし、スポーツを一切やらないと決めました。

 

まだまだコンプレックスの逸話はあります。体にも悪い部分があります。これはどの病院に行っても治らないものですが、排便障害で、上手く便が出せないのです。このため以前の仕事もやめました。現在50歳ですが、45歳くらいから、さらに体調が崩れ始め、現在左の耳は耳鳴りが鳴りっぱなしで、難聴になっています。

 

さらに、亀頭性包皮炎症という生殖器の病気になってしまい、これが5年経った今も治りません。なので、女性との性交渉もできません。風俗などに行ったことは、これまで一度もありません。雑菌が入ったことにより、それがなかなか生殖器から取り除かれないのです。コンプレックスはもっともっとありますが、書いていくときりがありません。ただ、わたしは手術の経験はありますが、大病をしたことがありません。それだけは親に感謝しています。

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