いじめの加害者は中途半端者で、弱いものに力をふりかざし自分の居場所を確認する

いじめ、ということでいえば、真っ先に思い浮かぶ言葉は、良く先生に学生時代「いじめられていないか?」と心配されたことです。しかし、わたしはかつていじめられたことは一度もありません。荒廃した家庭で育ち、赤面症やうつ病を背負い、勉強もできず、友達もおらず、スポーツもできず、背が学年でいちばん低く、虚弱であったにも関わらず、わたしはいじめられることはなかったのです。

 

先生たちは、わたしがいじめられているはずだ、と思っていたようです。これは社会に出ても変わりませんでした。わたしは100を超える企業やアルバイトに面接に行きました、面接がある仕事のほとんどは受かることはありませんでした。なにをいっているか、というと、人を一目で判断しては大きな勘違いになる、ということです。

 

いじめに関しては、わたしはひとつの持論を持っています。もし、わたしが多くの学生たち同様振舞っていたら、わたしはきっと大人たちが思うようにいじめられていたでしょう。社会で、こいつは使い物にならない、下等類だ、と思われたのといっしょです。しかし、わたしはいじめられない処世術を身に着けました。それは誰になにをされても逆らわないということです。

 

中学一年のときに、わたしにいたずらをしてきた級友がいました。ボールを頭にぶつけてきたり、足をかけて転ばされたりです。わたしは負けてはいけないと思い、取っ組み合いのけんかをしましたが、そのときふっと過るものがあったのです。

 

我が家の父は、暴力を毎日ふるっていました。単なるDVではありません。血が出るまで、骨が砕けるまで殴るのです。わたしはわたしに暴力をふるってきている級友に対し、虚しい、という気持ちを覚えました。以来、わたしは誰かがわたしにちょっかいを出してきても、逃げるようにしました。

 

すると、不思議なことに、誰かがわたしをいじめてきても、「おまえ、うるせーなー」とわたしを擁護する級友が現れだしたのです。わたしはいじめの本質を観たと思いました。つまり、いじめをする人は、実はいじめられている人なのです。本当に強い人は弱いものを虐げません。中途半端に力のある者が、弱いものに力をふりかざし、自分の居場所を確認しようとするのが、いじめです。

 

いじめに悩んでいる今の子供たちにはこういいたいです。とにかく、逃げろ、と。そして相手にするな、と。本当に強い者は、いじめをしない人です。つまり、逃げ、相手にしていないあなたは、弱者などではない、強者なのです。

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