幼少期から虐待を受けた。ストレス耐性が弱くコンフォートゾーンから抜けだせない

普通の人がなかなか理解できないと言うより自分自身が自分自身を理解できていない、それではなかなか普通の人には理解しては貰えないだろうと思う。
かと言って本当の意味で自分自身の理解に自分自身が努めているかと言うと結果的には何もやらずに、あるいは出来ずにその消化不良に悶々としている。

 

この状況が今のわたしのクセや習慣なんだろうと思う。何かをやらなくてはと思い、その気持ちは多分強い方だと思いますが、なにせ普遍的な行動に結び付かない、自分自身に本気で考え、本気で行動しろと叱咤激励した所で納得のいく行動に結び付かない。

 

そういった意味では毎日常にストレスを自身で背負っているのかもしれません。これではいつどんな病気になってもおかしくありません。たしかに色々な資格、国家資格も含めて取得しましたが、今の所それを活かすことが出来ていません、そもそも本当にそして本気でなにをやろうとしているのであろうか。自分を分析するに、まず頭が弱く、間違いなくストレス耐性も弱いと思います。

 

物事を高度に考えられない分、極端なウツ症状にはなっていないと分析しています。納得いく行動ができていないのはストレス耐性が弱いからでもあるからだと思います。甘いとも言えると思います。甘いからこそコンフォートゾーンから抜け出る事が出来ていない、その結果でそんな自分に納得出来なくて、ストレスになり、行動に結び付けようと何かをやり始めるが結局おなじスパイラルの中で悶々とする。

 

多分他人からは、そこまで体感しているなら自分の考えを精査してなんらかのスキルを使ってでも行動に移すようにすればいいだろうと言われそうですが、それが出来ない。これは一種の病気?と思う時もあります。今のそんな自分を先ず認めて、今に集中していこうと考えます。

 

ここで体験から思うことは、顕在意識だけでうろうろしているから、行動できないスパイラルに入り込んで身動きがとれなくなると言うこと。それが分かるならどうするか、顕在意識から潜在意識にどうアタックすればいいのか。そうすると潜在意識の事も知らなければいけません。調べると潜在意識はとてつもない力をもっているが、善悪、人称の判断はできないとあります。

 

人間の恒常性維持機能、免疫力も潜在意識。人の悪口、言動を指摘したとしても、潜在意識ではすべて自分と判断する。ふと考えたことは、これは自然の法則と合致しているのではないかと言うこと。

 

潜在意識、自然の法則の理解を深め行動に移そうとするならば、自然の法則から人として成長しながら健康にもたいしょしながら前に進んでいけるのではないかと考える今日このごろです。

 

こんな事を考えながら少しずつでも進歩成長してまずは今生きていよう。うじうじ悶々はバネに変えて、潜在意識と顕在意識の繋がり、自然の法則を頭に叩き込んで、その意識を常にもって行動に繋げたい。そういった意味では言葉はいい意味でも、悪い意味でも非常な重要な意味を持ってくる。

 

言葉に気をつけなさいとはまさにこのことだろう。その言葉、松田さんからの動画から沢山の言葉を頂きます。本来頂くだけでなく、その言葉をどう消化するか、それが今後の私の課題でもあります。

 

私は3歳で親を失い幼少期から虐待を受け社会に出ました。そんな育ちの中から出て来る、こういった思考、考えは自分の特徴的な考え方かまたはクセなのでしょうか。今は行動に結び付いていない分、遅いですが、今からが自然の法則行動のスタートです。 ありがとうございます。

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