父が「腰が痛い」と言いだし入院、検査、痩せて69歳で膵臓ガンで亡くなった

生と死で一番辛かったことは、私の父の死です。 私の父は、69歳で膵臓ガンで亡くなりました。亡くなる3ヶ月前まで、大工の仕事をバリバリしていました。私は父が大好きでした。

 

仕事が趣味で休むこともせずに、ただお客様に喜んで頂ける仕事がしたいと、言う気持ちでひたすら仕事をする、父を尊敬していました。とても、優しく私たち子供をとても大事にしてくれました。

 

お茶目でユーモアのある、父でしたが、子供の頃は作業着の父が恥ずかしく、友達のお父さんの背広姿に憧れを持っていました。大変、申し訳なかったと、今は思っていますが。

 

そんな父が、「腰が痛い」と言いだし、病院にいくと、即、入院、検査、検査の日々であれよ、あれよ、と、言う間に痩せて行きました。医師から、「あまり長くはない」と宣告を受けました。

 

でも、私は何故か、どこから湧いた自信なのか、「必ず父は治る」と、亡くなる前日まで疑いませんでした。たまたま、そこの病院ではホスピス病棟があり、日本でも有名で遠方からも患者さんが来られ、本来なら順番待ちで、中々入れないにもかかわらず、父は入れて頂けたのです。そのお陰で、痛みを感じる様子はなく、亡くなる前日までトイレにも歩いて行けていました。

 

そして、亡くなる一週間前に、最後に田舎に帰りたいという父を家族みんな総出で、病院から外泊を頂き鹿児島まで旅行にいきました。病気なんて、信じられないぐらい元気でした。

 

ただ、お墓参りに行ったときに、父の両親のお墓の前で手を合わせながら、父が「私もここにもうすぐはいるんかなあ」と、ぽつりとつぶやき涙を流してた、父の姿を思い出す度に涙があふれます。父は、目の病気のある、母をとても大事にしていました。

 

いつか、失明する病気だったので、色んな所へ目が見えるうちに、と、仕事の合間をぬって、旅行に連れていっていました。父と母は、娘の私から見てても、深い愛情いっぱいでお互いを大事に大事にしているのを、いつもほのぼのとした気持ちでみていました。そして、「この両親の子供に生まれてこれてよかった」と、いつも思っていました。幸せでした。

 

あとから、母に聞いた話によると、父が一時退院して、まだ、病院に戻るときに、母は父と抱き合って「お父さんが死んだら私も死ぬ。一緒に死ぬ」と、言って二人で泣いたそうです。でも父は母に「子供達の為にお母さんは、生きとかないといけない。」と、言ったそうです。

 

それから、父は亡くなり、母はその日から、毎日「死にたい、死にたい、お父さん、迎えにきて」と、泣いて過ごし15年たった今もまだ、生きる気力は全くありません。父が亡くなって1年後、母は完全に視力を失いました。

 

私はそんな両親を深く尊敬し、両親のような夫婦になりたい、と思って結婚生活を送ってきましたが、中々難しいものです。でも、すこしでもちかずけたらと、思っています。

 

父の死は私の人生で最大の悲しみでしたが、父の生きてきた証は私たち家族のこころにいつまでもいつまでも、大切な宝物として、残っています。父に、「おとうさん、おかあさんの子供になれて本当に幸福です」と、最後にいってあげればよかった、と、今でも後悔しています。でも、父を誇りに思っています。いつまでも。

 

お話をお聞き頂きありがとうございました。久しぶりに父の事をゆっくり思い出す機会を与えて頂き幸福でした。ありがとうございました。感謝しております。

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