人身事故で毎日のように電車は止まる。WHOによると日本の年間自殺者数は10万人超

近所に住んでいた幼馴染みの女の子は、生まれつき心臓が悪かった。赤ら顔、紫色の唇、いつも冷たい手、身体つきはほっそりとしていて弱弱しい。小学校の運動会では、どの競技にも参加しない。いつもグラウンドの外側で、父兄と一緒にみんなの競技を眺めているだけだった。

 

四年生のある日、文房具を買いに出かける、母親の自転車の後ろで、急にぐったりとなり亡くなった。葬儀に参加した私は、ただ茫然とした。かつて家族が不在の中、彼女の家に入らせてもらい、彼女の大切なものを見せてもらい、二人で一緒に庭の景色を眺めた。彼女にとり、私は、唯一の友だったのかも知れない。

 

彼女がいつも傍にいて、私を見守ってくれている気がしてならなかった。彼女の分まで、私は生きなければ・・・ふと、そう思う時があります。人が悟れば、あるいはよく学べば、その家系の何代前の人々まで、大勢が救われるとよく言われます。

 

人は一人で生きている訳ではありませんから、その通りでしょう。彼女は、陰ながら、私の人生を共に歩んでいるかも知れません。私の経験や学びは、彼女や、私のご先祖様の学びでもあるのです。自分に連なる人々と共に生きている。このことは、私だけではなく、誰しもが同じであるということです。

 

私が、やんちゃだったのは、小学生時代まででした。私は、弱い者いじめなどはせず、もっぱら、弱い者いじめをする奴らに対抗的でした。ゆえに、私はいじめを受けることはなく、餓鬼大将らとは均衡状態でした。

 

キリスト教では、「右の頬を打たれたら左の頬をも差し出しなさい」が有名です。自分に過失があったならそれでいいですが、相手が、ただの悪戯で悪さをしたなら抗議しなければ、相手は増長するだけです。仕返しの連鎖を防ぐため、左の頬を差し出すことで、解決する場合もありますが、果たして世の中は、それで平和になれるでしょうか。

 

昨今のニュースでは、凶悪犯罪の報道が無い日はないほどです。しかもそれらの犯罪は、暴力団の人が行っているのではなく、一般人であるということです。人とは善なのか悪なのか。様々な法律があり警官がいますから、秩序は保たれています。人の本性は、極限状態に置かれてみないと分かりません。清貧なる思想があります。清貧とは、自分の世話をしてくれる方がいたり、どこかに財産があるから、言えるのではないでしょうか。正真正銘の無一文が、住むところもなく、着るものもなく、食べものもなくて、清貧などと言えるでしょうか。

 

母と子が、ぬいぐるみを抱いたまま、向ってくる電車に飛び込んできたというニュースがありました。身元は不明だそうです。WHOの試算方法によると、行方不明者の何割だかを、自殺と認定するそうです。これによると、日本の年間の自殺者数とは、10万人を超えるらしい。日本は、豊かな国のはずです。アフリカでも死者数は多いそうですが、彼らから見ると、日本はまるで内戦状態のようだと言います。人身事故で、毎日のように電車は止まる。

 

著名人が、離婚をすると、よくマスコミ報道されます。裁判で、勝利を勝ち取ったとかで、ガッツポーズです。ようやく自由になれたようで、晴れ晴れしい姿が映し出されます。果たして結婚とは何なのか。それまでの夫婦生活とは、何だったのか、考えさせられます。私たちは、最低の生活が維持できているから、綺麗事を言えるのかも知れません。かつて飛行機が山に墜落し、生存者は食べるものが無かった。一部の生存者は、死体を食べて、生きながらえた。死体を食べることを拒否した者は、命が尽きはて亡くなった。死体を食べた者は、裁判で無罪となった。

 

人は、極限状態に置かれてみないと、その人の真価は分からない。イエス様の弟子であっても、「イエス様を裏切ることは決してない」と誓いながら、結局、イエス様を裏切った。イエス様の予言通り、その時、ニワトリが鳴き、自分自らの愚かさを悟った。自分は愚か者ではないと思いたい。しかし、今ある環境の上だから思えるのかも知れません。人は、人生で、極限状態に置かれる機会は少ない。

 

イエス伝にしても釈迦伝にしても、それらを後世に残そうとした人たちとは、強靭な意志、不屈の精神力を持った人達でした。大切な教え、法とは、魔にとり不都合なので、様々な妨害をしてきます。こんにちの時代においても、法を受けつぐ者達とは、強靭な意志力を持った人達です。人付き合いが少なく、年賀状は数枚しか出しません。人と同じことをしていたのでは道を歩めません。忘れてはならないのは、魔は、外にあるのではなく、自分の内側にあります。自分の内にあるからこそ、外にも現れるのです。

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