いじめられ自殺を考えた。帰宅後、涙を流しながら勉強机に直に鉛筆で遺書を書いた

小学生時代にいじめられた話です。私の通っていた市立小学校は2年に1回のクラス替えがありました。3年生時のクラス替えで、それは始まりました。

 

背が低く、声が小さい、もごもご喋る、おとなしい、まじめ。いじめられやすい要素はそろっていたと思います。そして、クラス替えで仲の良い友達と別クラスになりました。何がきっかけになったかは分かりません。あるときから、MとK、2名からつきまとわれることになります。

 

からかいから始まり、エスカレートしていきます。私のノートをぐちゃぐちゃにされたときに、クラスの担任に相談しました。先生の対応は、事なかれ主義でした。いじめではないとの判断です。若い女性の先生でメガネをしていました、それ以外の特徴は思い出せません。名前すら憶えていません。思い出したくないのだと思います。

 

別の先生という選択枠は見えていません。両親には相談ができませんでした。ひとりで抱え込みました。視野の狭さからくる、小さい世界しかありませんでした。

 

暴力はありませんでしたが、ただただ陰湿でした。物的証拠になるようなことはノートの一件以来やらないのです。精神的に追い詰めてくるのです。つきまとい、何かミスを見つけては嘲笑うのです。嘘を教えてミスをするように誘います。ひっかかれば大成功とMとKは大喜びです。

 

何度か仮病で登校拒否をして過ごしました。逃げ場所は布団の中です。どのくらいの期間いじめが続いたか覚えていませんが、その日は自殺を考えました。帰宅後、涙を流しながら自分の勉強机に直に鉛筆で遺書を書きました。先立つ不孝を許してくださいと書いて、MとKの名前を書いたのを覚えています。

 

そして、自宅の2階の窓に足をかけ飛び降りようと下を見て思いました。この高さでは死なない。どうやって死のうか考えました。学校の屋上には入れない。包丁で刺せば出血多量で死ねるだろうけど…そうしているうちに我に返りました。机に書いた遺書を一生懸命消していました。

 

それからは、仕返しを考えました。一番の仕返しはなんだろうと考え、何ができるのかと日々過ごしていました。出た答えは、二人をこのまま間違った道を歩ませ、反省の機会を与えない。ここで学習せずに大人になってから大失敗すればいい。でした。

 

小学校3・4年の記憶は薄くしか残っていません。耐え忍んだという記憶と5年生時のクラス替えを待ち望んでいました。5年生になりMとKとは別のクラスになり、いじめは終わりました。

 

その後MとKとは中学校も同じでしたが、同じクラスになることはありませんでした。顔を合わせることはあったと思うのですが、まったく声がかからなくなりました。いつしか、もう二人のことは眼中にありませんでした。以上です。

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