20歳の時、スピードを出して自爆事故を起こし、車は大破、死ななかったのが奇跡

生命、生と死に関して人生で一番つらかった事、考えさせられた事や悩みについて書かせていただきます。

 

人が自分を嫌いになったり、自分から離れ別の誰かになると、神様は寿命よりも早く死を与える、そう考えています。20歳のとき、車で自爆事故を起こし、車は大破、自分は頭を数か所縫う怪我をしました。死んでいてもおかしくない、助手席に立っている電信柱を見て、そう思いました。

 

原因はスピードの出し過ぎですが、なぜスピードを出していたのかといえば。会社で理不尽な目にあったからで、その憂さを晴らしていたのです。

 

運転に集中しないといけないのに、頭の中は怒りでいっぱいです。怒りで頭に血が上り平常心ではありません。いつもの自分ではないのです。自分はどこかに行ってしまい、代わりに自暴自棄が運転しているのですから、当然の事故です。

 

「自分らしく生きよう」このスローガンを見るたびに、そうだな、自分の好きなように楽しく生きよう、それがいいと単純に受け止めながらも、心のどこかで、もっと考える必要がある、そう囁きます。生と死は表裏一体で、「生」だけではなく「死」についても考える必要がある。

 

だから「自分らしく生きていないのは死んでいるのと同じだ」と言う。でも、すぐに死んだりしないから、とりあえずの選択で生きていく。もっと重く、深く、受け止められるスローガンだ。すぐに死んだりはしないが、自分を自分以外の何かに乗っ取られている状態だ。

 

そのまま走り続ければ、事故にあう、私が自爆事故を起こしたように。ハンドルを握っているのが、自分ではない得体の知れない誰かだとしたら、どこに行くかなんて分からない。そんな車には怖くて乗っていられないはずだ。

 

「生」を簡単に手放している。生きているのが当たり前だから、気にも留めない。「生」を手放しているのを神様が見たら、「生」を取り上げるだろう。「死」は思いのほか近くにあって、悪い感情に流されれば「死」に向かう。

 

感情は反応だから仕方ないが、すぐに手放すことだ。あなたが握っているのは「死」だ。「死」を握りしめているのを神様が見たら、「死」を与えるだろう。自分らしく生きて「生」を大切にすればいい。いい感情を指針として能動的に選択して生きていく。

 

自ら選択したなら後悔も少ないだろう。全てを能動的に引き受けるようになる。生きていれば、大なり小なり理不尽な目に合う。自分に一切関係が無くても、生きているというだけで災難に見舞われる。そのとき、どう受け止めるかで生き方が変わる。

 

自分に起きた災難でさえ、能動的に引き受け、次に進むこと。自分の引き受ける度量が大きいということは、人の器が大きいと言う事で、そうなれば、自分らしく生きるのもたやすいはずだと考えています。以上です。

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